23.9.17

銀行のサービスに対してクレームを通すためには

最初に用件をずばり言ってしまうことです。
あくまで個人的な体験ですし、この方法で必ずクレームが通るというわけでもないのでしょうが、一例です。
今年6月、旦那のご両親がイギリスに遊びに来たときのことです。
せっかくだからとスコットランドはエディンバラに数日滞在しました。が、2部屋予約したはずが1部屋しか取れておらず、しかもホテルはもう満杯なのでもう部屋は取れないということがチェックイン時に発覚しました。その時のホテルの対応があまりにもひどくて、「ホテル側に責任はない」の一点張り。頭にきたので予約サイトのイクスペディアにクレームを入れることにしました。しかし、旦那が電話をかけても、「分からない」「ホテルに確認して」と言われ続け、しかもアメリカの本社にまで電話するはめに。でもやっぱりどうにもならず、気づいたら1時間以上も経っていて、旦那は見るからに疲れてきていたので私がバトンタッチしました。
そしてバークレー銀行に電話を掛けました。というのは、銀行のサービスにあった、少し安くイクスペディアでホテルを予約できるサービスを利用していたからです。
向こうが電話に出たので、「とっっっっても困ってるので助けて下さい!」とまず言い、「お金を返して下さい」と、単刀直入に切り出しました。続けて、銀行のサービスを使ってイクスペディアで2部屋予約したけれども1部屋しか取れていなかったこと、ホテル側もイクスペディアも自分に非はないと言うが、こちらは予約のメールをちゃんと持っていること、でもホテルはもう満杯だから泊まることができないので、1部屋分の料金は返して欲しい、と筋を追って説明しました。
バークレーの担当者はとても静かに、時々相づちを打ちながら話を聞いてくれて、「では返金するための手続きに入るので」と非常にスムーズな対応をしてくれました。最後に、「返金願い書を送るので、それに必要事項を記入して送り返して下さい」と言い、この一件のID番号をくれました。
電話で、しかも英語で長期戦になるとこちらは確実に苦しくなるので、単刀直入に用件をまず言って正解だったと思います。それから起こったことを順番に説明していったのもよかったのでしょう。
ただ、ちょっとどうかなあと思ったこともありました。数日後帰宅してみたら確かに書類が届いていたのですが、「届いて1週間以内に送り返して下さい」とありました。つまり、帰宅した時点ですでに数日経っており、あともう少しで期限切れだったわけです。もうちょっと長く旅行していたら絶対間に合ってないじゃないか!次にこんなことがあったら(あってほしくないけど)、「帰宅するのは○○日だから、書類はそれ以降に届くようにしてね」と言わないといけません。
ともあれ、1部屋分のお金は無事戻ってきました。今後このようなことがないことを祈ります。先日親戚が遊びに来たときも、2部屋のうち1部屋取れていなかったことがあったので(これはロンドン)、イギリス全体で予約システムに何か欠陥があるのではないかと気になります。
ちなみに、我々が泊まろうとしたのはヒルトンホテルでした。予約だけではなくて、カードキーが何回か機能しなかったり(これで文句を言いに来ていた他のお客さんもいた)、先に荷物を預かってくれていたのはよかったのですが、チェックインして部屋に入ってみたら別の荷物も一緒にあって驚きました。しかも極めつけは火災報知器の誤作動。グレンフェルタワーの大火災があったばっかりだったので、これにはまいりました。本当に誤作動だったのでよかったのですが、翌日ホテルに張り出された紙には原因については何も書かれておらず、謝ってるのか謝ってないのかはっきりせず、腹立たしい限りでした。我々夫婦はすぐ側のIbisホテルに泊まりましたが、とても親切な対応の割に値段はそれほど高くもなく、部屋も広くて快適でした。外見にだまされてはいけない、と深く反省した次第です。
というわけで、クレームを入れるときは用件をまず先に言ってしまいましょう。


21.9.17

ロシア語の勉強を始めました

ふと思い立ち、7月からロシア語を勉強しています。
前から、といっても中学生くらいから「ロシア語やってみたいなー」と思ってはいたのですが、やれ部活、やれ課題、やれ予習、やれ受験・・・と追われるままに、ついにここまで来てしまいました。大学の第二外国語はドイツ語でした(これはちゃんと理由がある)。就職してからは仕事で忙しいし、帰ったら仕事関係の読み物や調べ物で語学学習に時間を割けるはずもなく、ロンドンに来たら大学院の勉強と英語、くずし字読解(現在解読速度急上昇中)でした。
しかし、去年旦那が大学院のフランス語授業を取り、しかも結構楽しそうにやっているのを見て、自分も語学をやりたいという気持ちがふつふつとわき上がってきたわけです。それを見て旦那が一言。
「ロンドンからならサンクトペテルブルクはすぐ行けるから、ロシア語やったら?」
おおー!そうですよね、近いですよね。ついでにモスクワも!
ということで、実際にロシアに行く予定を立て始めると、俄然ロシア語勉強熱が高まります。やっぱり何かを始めるには目標があるといいですね。しかも具体的なものほどよし。モスクワのトレチャコフ美術館でロシア絵画にどっぷりはまるのが私の夢なのです。それにしても、中学生にとってのロシアはものすごく遠かったなあ。いえ、思い返せば色々チャンスはあったのですが、行動に繋がっていませんでした。ひょんなことからきっかけは生まれるものです。

で、どうやって勉強するか。実は前にやりかけてはやめた経験があったので、もう少し遊びながらできるものがないかと思い、旦那が使っているBabbelというアプリをスマートフォンに入れてみました。キリル文字から入り、簡単な会話から徐々に複雑な会話へ、ゲームをする感覚で勉強できます。単語や文章をお手本の後にしゃべると、もとの文と合っているかどうかを判定してくれますし、空欄に活用した形や単語を、画面の中のキーボードで打ち込んだりもします。ちなみに、文字を打つときはロシア語配列のキーボードになります。英語配列のものとはまったく異なるので、最初はとにかく戸惑います。というか、今も戸惑ってます。
それから、黒田龍之助『ロシア語のしくみ 新版』(白水社、2016年、初版2014年)、黒田龍之助『初級ロシア語文法』(三修社、2016年、初版2012年)、米重文樹編『パスポート露和辞典』(白水社、2017年、初版1994年)を購入しました。黒田先生は語り口が面白くて、しかも「小説のように最後まで読み切れる文法」(『初級ロシア語文法 』p. 4) と銘打っただけあり、楽にするする読めます。『パスポート露和辞典』もとても読みやすいです。まだ辞書を引きこなすまでには至っていませんが、発音がカタカナ表記なのですぐ声に出してみることができるし、初学者向けの文法の解説もあったりするのでとても親切だと思います。
あとはNHKのラジオアプリ。全部で15分ほどなのですが、なんとテキストを掲載しています。今は音声に合わせてテキストを追うのが精一杯で、意味を取るのはまったくできませんが、いずれ見なくても聞き取れて中身が分かるようになりたいです。

さて、そんな我が家ではこれからの旅行対策のために、旦那から以下のような言語分担案が提出されました。
旦那:フランス語、イタリア語、スペイン語
私:ロシア語、ドイツ語
あの、旦那君、偏りすぎてません・・・?確かに昔イタリア語やってたし、今フランス語やっているけど、一人でラテン系3言語って逆に難しいように思いますよ?似ていると混乱しやすいのでは?まあ、本人が張り切っているのでよしとしましょう。
私も記憶の彼方のドイツ語を呼び戻さないといけません。文法は結構まじめにやりましたが、思い出せるかどうか。勉強していた頃は、どうも綴りが似た単語(同じ接頭語から始まるとか)が多い印象で、単語を覚えられなかったんですよね・・・

1.9.17

映画 Frantz の感想: 真実は決して正解ではない

これまた前の話になりますが、映画 Frantz を5月に見てきました。大変いい映画で、お勧めです。
第1次大戦後、1919年のドイツとフランス。戦争で婚約者のフランツを亡くしたドイツ人のアンナのもとに、フランツの友人と称するフランス人のアドリアンがやってくるところから始まります。最初はフランス人だからと敵視していたフランツの両親(特に父親)も、アドリアンの話を聞きながら死んだ息子のことを思い出し、打ち解け、まるで本当の息子のように接するのですが、アドリアンの本当の目的は、実は自分がフランツを殺してしまったことを謝り、許しを請いに行くことでした。アドリアンはフランツの友人ではなく、戦場の塹壕で鉢合わせしてしまった敵であり、アドリアンは緊迫の一瞬の後にライフル銃で撃ったものの、フランツの胸に入れてあったアンナからの手紙を読んで、恋人がいることを知ったのでした。
映画を通してアンナからの視点から描かれているのは、オゾン監督によると、ルビッチの原作(『私の殺した男』1932年)とは異なるものにしたかったからだそうです。もともと、モーリス・ロスタンの演劇(1925年)にヒントを得て制作を始めたところ、すでにルビッチの映画があることに気づいて落胆してしまったのだそうです。しかし、婚約者だったドイツ人女性から見た物語に変更すれば、ルビッチ版への返答になるだろうと考えて撮影に至ったといいます。オーストリア人のルビッチがフランス人兵士からの視点で映画を撮り、フランス人のオゾン監督がドイツ人女性の視点で撮る、という面白い試みだとインタビューで語っていました。オゾン版はアンナの視点から描くことで、最初からアドリアンの正体には気づかないように、何かもやもやしたものを感じさせながら徐々に真実に近づいていくようになっています。
「生きていくにはアートとフィクションが必要」というのがこの映画の複数の主題のうちの一つです。アンナはアドリアンから真実を告げられても、それをフランツの両親には伝えず、アドリアンが急遽フランスへ帰ることになったのは彼の母親の具合が悪いから、と嘘をつきます。フランツの両親の反応を知りたいアドリアンに対しては、「子供を殺された両親がとる態度は決まっています」と、これまた嘘を言い、アドリアンの思いを両親に伝えたことにしてしまうのです。そしてすべての嘘を貫き通します。両者の間に入って、それぞれの知りたいこと、思い続けていてほしいことを、そのままに保つために四苦八苦するアンナに、生きていくうえで、真実を知ることは決して正解ではないということを考えさせられます。
最後はルーブル美術館で、マネの『自殺』という絵画を観ている場面で終わります。「この絵は好きですか」と問いかけた隣の男性に、「ええ。生きようと思わせてくれるので」とアンナが決意に満ちた表情で、でもほほえみながら答えます。アドリアンがフランツと観た、と言っていた絵画で、他の場面でも出てきますが、人生にはアートとフィクションが必要という監督の考えがここにも託されていると思いました。1932年のルビッチ版はどうもハッピーエンドのようですが、私たちはその後を知っているため、アンナの前を見据える強さが一層際立っているように見えました。
フランツを間にして、アンナとアドリアン、ドイツとフランスがまるで鏡像のように描かれているのが見事で、勝った側も負けた側も、負った傷は深いのだということがよく分かります。原題 Frantz は、所有代名詞等を排して名前だけを提示することで、亡くなったフランツを軸に展開する鏡像関係をはっきりと打ち出すことに成功していると思います。対して、日本語版の題名『婚約者の友人』は一方方向のような、アンナから見たアドリアン側に片寄ってしまったような気がしないでもありません。確かにアンナの視点から見ればアドリアンは死んだ婚約者の友人(嘘ですが)ではありますが、この題名では、二人及び両国の対比・対応関係を掬いきれていないように感じます。私は Frantz のままでもよかったと思うのですが。
この映画をほぼすべてモノクロームで撮ったのは、「我々にとっては、この時代の映像はモノクロームである方がしっくりするし、喪に服している時期だから」というオゾン監督の方針だったとのことですが、実はカラー映像もあります。すべて分かったときに、カラーである理由は納得できると同時にとても切ないです。