28.12.15

SOASの図書館が便利なところ

昨日、韓国美術のエッセイ課題について本を調べようとSOASの図書館へ行ったところ、同じ学科の友達にばったり会う。
「調子どう?」と聞けば「全然だめ」と返ってくる。彼女はエッセイを3つ抱えているけれども、うち2つ(しかも結構大変な課題)はまだ手つかずらしい。とはいえこちらも事情は似たようなもので、エッセイ4つのうち、やっと一昨日、1つ大筋を書き終わったのみ。
ただしありがたいのは、SOASの図書館が必要最低限の休みを除いて年末年始も夜9時まで開いていること。この「必要最低限の休み」は12月25日と1月1日のことで、理由は言わずもがな。
とはいえ職員はいない(臨時職員や警備員はいる)ので、専門的なことは聞けないけれども、機械で貸し出し・返却はできるし、コピーもできるから助かります。
私は意見をまとめるのも、書くのも遅いので、果たしてこのエッセイ地獄を無事に抜け出せるか・・・ああ、もっと早くからやっておくんだった!

26.12.15

This is a Trump Free Zone

ドナルド・トランプ氏がイスラム教徒の入国禁止を発言したということですが、支持率が下がるかと思いきや上がっているそうで、何とも悲しい限りです。個人的には「その髪どうよ」と大いに突っ込みたいのですが。
先月のパリ襲撃のせいで、残念ながらロンドンでもイスラム教徒へ厳しい対応しているところ・人があるらしく、SOASからは通学中のイスラム教生徒を守ろうという呼びかけがありました。
下の写真はカフェの外壁にあった反トランプの貼紙。ちなみにこのカフェ、その名もDepartment of Coffee and Social Affairs(「コーヒーと社会問題学部」)。
さすがです。

それにしても、大西洋を飛び越えて批判を巻き起こすトランプ氏の影響力やいかに。アメリカは「多文化共生」の建前すら捨ててしまうのでしょうか。来年の大統領選から目が離せません。

セント・ポール大聖堂の合唱を聴いて思ったこと

日付が変わってしまいましたが、今日はクリスマスということで、セント・ポール大聖堂で聖歌隊の合唱を聴きに行ってきました。教会で聖歌隊の音楽を聴くという経験が今まで一度も無かったので、どういうものなのか想像がつかなかったのですが、いやはや、圧巻でありました。
荘厳なオルガン演奏(演奏者はこの大聖堂専属のオルガニスト)に、透き通るようなボーイソプラノとパワーのある成人男性の合唱団。イングランド国教会の、まさにロンドンを象徴するような大聖堂ですから質が高いのは当たり前といえばそうですが、西洋音楽は教会を中心に発展してきたことを改めて思い知らされました。
演奏会のパンフレットでソリストの経歴を見ると、「○○教会の聖歌隊に所属」と書かれているのをよく見ます。聖歌隊が音楽教育の出発点になっているわけですね。

もっと驚いたのは、最後のお祈りのときに出てきた次の一節。
“Mighty God,
the government is on your shoulders:
guide the leaders of the nations
and bring in your kingdom of justice and righteousness:
Christ, the Word made flesh,
hear our prayer.”
国を支える信条として、アイデンティティーとしてキリスト教があるということに、そしてクリスマスという日にお祈りで唱える言葉だということに衝撃を受けました。もちろん今のイギリスは多民族で構成されているので、表立って言うことはあまり無いかもしれませんが。
これを見たであろう明治政府は焦っただろうなあ、と日本近代史のエッセイを書かねばならない当方としては思うところがありました。
江戸時代の日本をどう捉えるかについては様々な意見がありますが(連邦制や絶対主義など)、およそnationと呼べるようなものではないだろう、というのが一般的ではなかろうかと思います。
言語も度量衡も貨幣もばらばら、ゆるやかな連結で何とかまとまっていた江戸時代ですが、一応「国」と呼べるようなものとして機能していたわけで、ではそれを支えた信条や理論は何か?となると、実はすんなり分かるものではありません。なくてもよかったのかもしれません。
ただ、明治に入って列強の中に放り出されたらそうもいかないわけで、急いでnation造りに取りかかる、そのときにこういう言葉を聞いたら悩んだだろうなあ、と帰る道すがら思いました。


24.12.15

ウィーン小旅行

20日から22日までウィーンへ行ってきました。
隙間あらば、といった感じでクリスマスマーケットが開かれていました。現地で「プンチ(punsch)」というスパイスの効いたホットワインのような飲み物を飲み比べながら見物。特に市庁舎前は賑わっておりました。下が市庁舎の写真。

ちょっと暗いですが、シュテファン大聖堂の写真。壮麗なゴシック建築です。

こちらはベルベデーレ宮殿。上殿から下殿(オレンジ色の屋根)を望む。宮殿間の庭にはなぜか雪だるま?

石で作った雪だるまでした。なぜここに?遥か後方に見えるのはシュテファン大聖堂です。





19.12.15

電力明細書が届いたらやるべきこと

電力会社によって異なるかもしれませんが、当方の電力明細書は2ヶ月ごとに届きます。
9月に入居したので、11月に電気料金の第1通が来たわけですが、開けるなりその額に思わずのけぞる旦那と私。
「300ポンド!?」
1ヶ月で150ポンド、つまりおよそ3万円も電気を使っているのか?
そこから夫婦会議で話し合うこと10分、「昼間はほとんど家にいないし、冷蔵庫だって温度をそこまで下げてないし・・・」と項目を挙げて出た結論は、「日本にいたときと比べても、使ってる量はたいして変わってないはず。」
そして入居時に電気メーターを撮影していたのを思い出し、ならばと旦那が再び下へ降りて撮影、その数値を電気会社のホームページからアカウントを作って入力。すると、修正されて50ポンドになりました。何だろう、このシステム・・・
どうも最初の300ポンドは「予想値」からはじき出した額なんだそうですな。メーターはフラットのある建物の中にあるわけですが、中へ入るには暗証番号が必要で、電力会社の社員はもちろんそれを知らないから入れない、つまり検針できないのです。で、予想値を入れるんだそうです。よく見てみると使用量の隣に[E]という文字、これはExpectationの頭文字なんでしょう。

しかし、これを2ヶ月ごとにやるんだろうか・・・契約したといっても不断の注意を怠りなく、のようです。

18.12.15

Inventory

フラットに入居してすぐに、inventoryの人がやって来ます。もともと「目録」とか「在庫」という意味ですが、要は部屋の状態や備え付けてあるものについて記録しておくことを指していて、入居時に記録したものを破損してしまったり、汚してしまったりすると、退去時に弁償代・清掃代を要求されます。不動産屋とは別の会社が行うことが多いようです。
私たちも、入居する時に不動産屋の担当者から「しばらくしたらinventoryがやって来るから」と言われました。入居して2,3日だったでしょうか、かくして女性のinventory担当者が来訪。「1時間くらいかかるけどいい?」と言われ、大丈夫ですよ、と答えたものの、「なんで1時間もかかるんだろう?」と不思議に思いました。日本で部屋を借りる時に、不動産屋(または大家)と中を一緒に見たことはありますが、そこまでかからなかったような気がしたからです。
すぐにその理由が判明。担当者は手にレコーダーを持ち、部屋のあらゆる所を見ながら状態をしゃべって録音していきます。例えば、「台所に入って左側に冷蔵庫と冷凍庫があり、その左から作り付け食器棚がある。その中にはワイングラス4本、大きな平皿が6枚、小さな平皿が5枚・・・」
今住んでいる家は家具だけではなくて食器も付いているので、細かい所まで確認していました。もちろん写真も撮っていきます。

これはディスクリプション(美術作品の記述)のよい例だ、と直感した私は、iPhoneの録音機能を作動させて、担当者の後にくっついていくことに(しかし、後で聞き返してみると小さい声に早口でなかなか聞き取れず、無念・・・)。旦那は部屋の写真を撮り、これで同じデータをこちらも持つことにしました。
「写真を撮ればいいじゃんか」と思わないでもないですが、言葉で記録していくのがこちらのやり方で、これは美術館でもそうです。学芸員養成の講座で聞いた話ではありますが、欧米の美術館が他館へ作品を貸し出す前の状態調査では、すべて言葉で書いて記録するのが常です。写真も撮りますが、それだけでは見過ごすからです。

家にはありがたいことにエアコンもついていまして、それを見ながら担当者、「居間にはエアコンが装備されていてメーカーはD, A, I, K, I, N・・・」。「それ、ダイキンって読むんですよ」と声を大にして言いたかったのをこらえて、inventoryはともかく終了。「何か質問とかある?」と聞かれたので、入居時から気になっていたことを聞いてみました。
部屋が横長の長方形だとして、その左下角を囲むようにL字形に作り付けの食器棚があるんですが、その食器棚が対辺側の壁と接する箇所(L字の一番上の所)の底板が足りていませんでした。材料の寸法を間違えたのか、建設途中で足りなくなってしまったのか、そこだけ隙間(10×20㎝くらい)空いていて、壁の後ろにある配管が見えているという有様。
「ここに隙間があるんですが」と言ってみたところ、担当者は「ああ、そういうのよくあるから心配しなくていいわよ。でも書類には一応記録しておくわね」とのお返事。「いや、よくあっちゃいかんだろう」と思いましたが、でもとりあえずこちらから指摘しておいたわけだし、退去時にこの隙間で請求されるなんてことはないでしょう(多分)。「疑わしきはこちらから言っておけ」という、学芸員経験が生きました(大げさ)。

ちなみに、担当者は家具だけではなくて、電気と水道のメーターも見ていきました。旦那が目盛りの数字も撮影していたのが後日とても役立つことになります。

15.12.15

合鍵を手に入れるまで

鍵は1つしか渡されなかったわけですが、私たちを案内してくれた不動産担当者が合鍵を作ってくれたというので後日取りに行くことに。
到着するなり、
「これ、私が削ったのよ。ふふふ。」
と超ご機嫌な担当者(女性です)。
学校もそろそろ本格的に始まろうかという頃だったので、二人一緒に外出しなければならなかったり、どちらかが帰ってくるまでもう一人がずっと待っている、なんてことも終わりだ、よかったよかったと思って帰宅して早速試してみました。が、
「あれ、回らない・・・」
鍵穴には入るんですが、回らない。
本鍵と合鍵を重ねてみると、合鍵が心持ち短いような・・・?
ということで早速電話、作り直してもらうことに。
数日後、合鍵ができたというのでまた取りに行き、期待を込めて鍵穴へ。しかし、これも回らない!
再度電話し、同じ不動産屋の違う事務所へ行ってくれとのことで、そちらへ伺い、カウンターの女性に事情を話して合鍵を渡しました。曰く、「うーん、私には本鍵と同じに見えるんだけど・・・」でも鍵が回らないんですよ、ともう一度伝え、待つこと数日。
合鍵ができたと連絡があり、その事務所を訪れました。
再びカウンターの女性、「これで大丈夫だと思うわ!」とにっこり。
こちらは「本当に大丈夫だろうか」と半信半疑でしたが、帰宅してやってみると、今度はちゃんと鍵が掛かりました。
イギリスで暮らすなら「三度目の正直」を待たないといけないらしいです。

14.12.15

家を借りるときに不動産屋へ出した書類

昨日書いたような経緯で始まった家探しは、確か7月から8月にかけて候補が決まり、現地の不動産屋へ旦那が連絡してくれました。日程の都合上、イギリスに着いた翌日から家を内見することに。
当日は担当者の方が運転する車で3件見学。4年間住むということがよかったのか、第1希望だった今のフラットに決まりました。
ただ、大家さんが4年契約は心配ということで、とりあえず1年契約になりました。契約が切れる2,3ヶ月前に継続する意思があるかどうか連絡します、ということで落ち着きました。
きっと一年ごとに家賃が上がっていくのでしょうが、そこはぐっと我慢。なんせ思ってもないほどの好立地だったからです。しかも向かいは何ともよさげなパブですし。

さてここからが第2の山場。不動産屋の事務所で大量の書類に夫婦でサインし、こちらも必要な書類を提出しました。
渡したのは、
・旦那の会社からの証明書(社費留学なので)
・大学院合格通知書 
・友人からの推薦書(誰でもよい)
・パスポートとBRP(Biometric Residential Permit)
・銀行口座の取引履歴(ネットバンキングの直コピー)

銀行口座の取引履歴のコピーを出すのには抵抗もありましたが、仕方ないので提出。後で知ったことですが、イギリスではイギリス以外の国籍の人に不動産を貸す時、提出させる書類を法律で厳密に決めているそうで、それが無いのに貸してしまうと大家に高額な罰金が科されるとのこと。確かBBCのニュースだったと思いますが、この法律に反対している大家さんがインタビューを受けていました。「入国する時に審査されているはずなのに、なぜここでまた書類を用意させるのか」と。要は二度手間じゃないか、ということでしょう。昨今の移民・難民問題と絡んでしわ寄せが来ているんだろうと思いました。


不動産の担当者から鍵をもらい、後日鍵のコピーも渡すので取りに来てね、と言われました。家が決まって一安心、家具付きだからすぐに生活できて楽・・・とはいかなかったのは明日にでも。

13.12.15

ロンドンで部屋を探すときに注意すること

ロンドンで部屋を探すのは至難の業です。家賃が高く、立地のよいところは競争が激しいからです。私たち夫婦は、渡航する日の3ヶ月ほど前から探し始めました。
お世話になっている喫茶店のママからスコットランド出身の方を紹介してもらい、不動産探しにうってつけのサイト、Zooplaを紹介してもらいました。
その方と一緒にサイトを見ながら、不動産探しの要点を教えてもらえたのが大いに助かりました。かいつまむと、
・外観はぱっとしなくても、中はきれいなことが多い。
・1年以上借りられるか確認すること(私たちは4年間住む予定)。不動産を持っている人によっては、少しの間別のところに住むことになった場合、その不動産を自分がいない間だけ貸し出す人もいるため。
・スタジアムが近い場所は気をつけるべし。サッカーの試合の後は、試合の内容如何によっては怖い。
・家具付き、セントラルヒーティング付のところがよい。お得(自分たちもそうしました)。
・お湯を出す時には、数時間前にスイッチを入れておかないと作動しない機械もあるので確認すること。

さて、その方、時々建物の画像を見ながら「あ、これはいいね」と言うので理由を聞いてみたところ、
「これはヴィクトリア朝の建物だから。ジョージ朝もいいよ。」
とのお返事が。
古い建物は外観はそのままに、中を改装して住むのが理想の不動産なのだそうで、政府も古い建築物の保存に予算を準備しているのだそうです。つまり古ければ古いほどよい。
しかし建物の外観で様式まで分かるとは!と驚きました。

逆に、「ここはやめた方がいい」と言われたのは、高層マンションでした。「人が多いと面倒なことも多い」というのがその理由。一軒家であっても集合住宅が近くにあるようなら思いとどまった方がいいとも言っていました。
日本だと、高層マンションは富裕層が住むところ、というイメージがあるように思うのですが、まったく逆の発想で新鮮でした。でも確かに、ご近所同士で揉めることは多いといいますもんね。
「それじゃあ、何階までの建物なら住みます?」と聞くと、
「うーん、2階。」
そ、それは厳しすぎる・・・

やはり古い一軒家が理想のようです。

12.12.15

期末テスト終了

今週1週間はSOASの期末テスト期間でして、私も今日(土曜日です)やっと終わりました。
ちなみに今日は中国絵画のエッセイ構想発表会で、持ち時間10分で取り上げる作品について、どのような方法論で書くのか、何と比較するのかについて発表しました。
その1ヶ月ほど前にも、5分で発表する機会があったものの、他科目のテスト勉強で発表準備どころではなく、昨日はほぼ徹夜で何とか乗り切った次第・・・

発表自体はテューター(博士号を取った学生)からもお墨付きをいただくことができ、一安心でしたが、これから英語で書くのかと思うと薄ら寒い思いです。
最近の欧米では、どうも方法論・理論を問われるようで、私も教授に相談したときにどのような方法でやるかはっきり示すようにと言われました。
とはいえ、この方法論に私はとても弱くて、今日の発表でももっぱら他作品の比較(東アジアで流布していたであろう図像、なんて言ったら日本で学生だった頃の先生方には笑われそうですが・・・)で通しました。結論はきれにまとまったので、テューターからも「この方向でいいよ」と言われ、一安心です。

この科目を含めて4つ授業を取ったわけですが、つまりは4本のエッセイを冬休み中に書く、という羽目に陥りました。年は安らかに越したい、ので明日からまた頑張ります。

3.12.15

美術と言葉

来週は学期末試験ということで、今週は3人の友人たちと一緒に図書館で勉強しています。
くせ者(といったら怒られるだろうな・・・)なのは中国絵画史でしょうか。スライドで2つの作品を見て、それぞれについて分析した後、2つの比較を書く、というものなんですが、中国絵画の同定(時代、作者、様式などを位置づけること)がやっかいです。
そもそも実物を見たことがない作品が多いわけでして、それなのにあれこれ言うのもなあ、と思うわけですが、そうも言ってられません。
4人で話していたときに話題になったのは、中国絵画史がいかに西洋的観点から構築されているかということでした。とある画がありまして、それについて西洋の専門家が「幾何学的構図を用いている」と言っておるんですな。で、正円の図を組み合わせた図と重ねて持論を展開しています。
ですが、後から正円を当てはめてみたらうまく合っただけ、のような気もするわけで、下絵の段階から正円の組み合わせを使っていたかどうか、疑わしいなあと思ってしまいます。
友人たちとは、美術史で使う言葉の使用についても話し合いました。
"perspective" "naturalistic" "representational" "illustrative"・・・この概念も西洋のものなわけで、中国絵画のみならず、東洋絵画全般に対して当てはまるか、と言われれば、否、と答えざるをえないです。
でも東洋絵画にも、描かれているものの中に遠い・近いの違いを感じるし、いかにも実物に触れられそうな、感触に訴えるかのような再現性の高い(と思わせるもの)だってあるわけで、ではそれらをどう言葉で表現すればよいのか、と言ったときに、「」付きで言わざるをえないような、なんとももどかしい思いをすること度々。
でも理論を作って広めていくのは欧米に分があるのよね、と4人で愚痴を言いつつ、言葉の意味を確認しながら昨日は夜11時まで図書館で粘りました。
最後の方はランナーズ・ハイのような、変なテンションになりましたが、何とか授業で扱った時代まで復習終了(したことにした)。
よい友人との勉強は楽しいものです。