24.12.16

「立ち入り禁止」ではなくて


買い物に行く途中、公園で見つけた掲示。ユーモアがあって面白い。

6.12.16

近所の眼鏡屋さん

普段、眼鏡をかけていますが、つるが耳にあたって痛いなあ・・・と思っているうちに、皮がむけてしまってえらいことになっていました。
ほぼ毎日使い、狂ったように混んだ地下鉄改札で背の高い人が押してきて眼鏡にあたってずれる、なんてこともあったので、色々緩んでしまったんだろう、調節してもらわないと、ということで、近所の眼鏡屋さんに行ったわけです。
そのお店は初老の男性の店員さんが一人で切り盛りしているようでした。眼鏡のつるの調整をお願いし、手渡すと、店員さんはその眼鏡を顕微鏡のようなもので見始めました
が、突然、「これはどこで作ったんだ?」と聞いてきました。
私:「日本です」
店員さん:「レンズのメーカーは?」
私:「メーカー?ええっとどこだっけな・・・」
店員さん:「これはHOYAだろ?」
私:「うーん、そうかもしれないですね(でもTOKAIだったような気もするな・・・)」
店員さん:「俺は、透明度の高いレンズを見ることが何よりも楽しいんだ。フレームはどうでもいい。このレンズはとてもクリアで、いいレンズだよ。」
こんな話をしながら調節してくれていたわけですが、私が日本人だと分かったので、店員さん、さらに続けます。
店員さん:「定年退職したら旅行に行きたいんだけれども、日本は3番目に行きたいと思ってる」
レンズにあんなに感動しておいて3番目?と思ったのですが、ここはぐっとこらえ、「じゃあ1番目と2番目はどこですか?」と聞いたところ、「1番目はオーストラリアでバリア・リーフに行く、2番目はカリビアン諸島、3番目は日本かベトナム、それかタイ」とおっしゃる。3番目に色々入ってますが、やっぱり南に行きたいんだなあ、ロンドン寒いしなあと納得。
そうこうしているうちに調整が終了。さすがに料金が発生するだろうと思いきや、「もしサービスがよかったと思ったら、机の上の募金箱にお金を入れてくれればいいよ」というのでそういたしました。
つるも直って快適です。

15.11.16

大統領選挙後のテレビ番組

先週のテレビ番組はふるっておりました。
Have I Got News for Youというトーク・クイズ番組の冒頭では、司会者がまずその1週間に起きた出来事をおもしろおかしく紹介するんですが、先週金曜日の冒頭はこんな感じでした。
"In the news this week: aaaaaaaaaaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHH!!!!!!!"

約10秒間、たっぷり怒声を上げてました。最後は拳で机をたたく始末。

そのあとにあるThe Graham Norton Showでは、冒頭で司会者のグラハム・ノートンが
"Let me just start the proceedings with a question. America, what the f***?"
最後の単語はfだけ発音して、あとは空音でしたが、それだけでも十分分かりました。

どちらの番組でも会場は沸いてましたね。アメリカ大統領選挙もしっかりネタになっていました。

6.11.16

おいしい飲み物の条件 

イギリスの紅茶はおいしい、とよく言われます。昨年までイギリスにまったく縁の無かった生活を送ってきた私は、それを聞く度に本当なのかなあと思ったものでしたが、こちらで暮らしてみた結果、この説はやっぱり当たっていると思います。
それで、どんな風においしいか、ということなのですが、コクも渋味もあるけれどもすっきりしているように感じます。言葉が足りてませんが、実際こう思います。脂肪分の高いミルクを入れるので、こってりしてしつこいのか、と思いきや、そうじゃない。初めてイギリスに来てロンドンのホテルに泊まったとき、そのホテルの小さなラウンジで飲んだ紅茶があまりに想像と違っていたので驚きました。でもそのときに「これはおいしい・・・!」と感じたわけです。
日本に一時帰国したときに色々な紅茶を飲み比べてみましたが、少し長く待ってみても薄いように感じたり、おそらくイギリスで普段飲まれている牛乳に近い、高脂肪分の牛乳を出してくれたところもあるのですが、お茶と合ってないように感じたりしました。イギリス向けに作られた紅茶なら、やはりイギリスの石灰分が多い硬質の水を使ってこそのように思います。もちろん、今は色々な場所で茶葉が作られているので、軟水でもおいしい紅茶をいれることができるとは思うのですが。
そしてコーヒーより断然安いので、家で手軽に飲めるのも嬉しいです。やっぱりというか、スコーンとの組み合わせは絶妙。

さて、おいしい飲み物とは。人によりけり、で終わってしまいそうな話ではありますが、それ自体では強い主張がないように思えても、普段の食事と合わせると効果抜群、しかも料理やお菓子を引き立ててくれるようなもの、無いとものすごく寂しくなるもの、と思ってます。これはチェコに行ったとき(というよりはビザが発行されるまで足止めをくらっていたとき)に飲んだチェコビールでも言えるかなと思います。チェコのビールってすっきりしていて飲みやすいです。チェコの煮込み料理を食べるときにはとてもお勧めで、こってりした料理を引き立てて、適度に口直し(または口休み?)をしているような感覚がありました。ちなみに、日本から帰ってきて真っ先に飲んだのは紅茶でした。
対してイギリスのビール、特にエールやIPA、それにスタウトは、それ自体で強烈な味と香りがあります。こちらの人は何も食べずに何パイントも飲むし、パブも料理を楽しむというよりはお酒を楽しむ場所なので(もちろん料理を出すところもありますが)、ビールそのものに強い個性があるのかなあと想像しています。
念のため付け加えておくと、イギリスのビールも大好きです。ロンドン・スタウト、いいですよ。こくうまです。

不思議で偉大なもの 自然史博物館にて

1924年、チェコの作家、カレル・チャペックがイギリスにやってきたときのことを書いたエッセイ『イギリスだより』に「自然史博物館にて」というのがあります(筑摩書房、2010年、Kindle版。底本は第三刷)。その中でチャペックは、どんな博物館・美術館の展示品よりも、自然史博物館に展示されている貝や岩石がとても面白かったと言っています。
今日、日本から訪ねてきた友人と一緒に初めて自然史博物館 (National History Museum) に行ってきました。お隣のヴィクトリア・アンド・アルバート美術館にはちょくちょく行っていたのですが、なかなか足が向かずに1年経っていたところ、友人の強い希望で開館直後に博物館へと乗り込みました。
博物館は収集品の内容もさることながら、展示の工夫も面白くて飽きずに見続けてしまいました。まずは入ってすぐ、エレベーターの点前で恐竜の化石がお出迎え。この「まずは最初で心を掴め」の計画に見事に塡まり、友人と記念写真を撮ってエレベーターで3階へ。地殻変動や火山、地震(日本の鯰信仰や阪神淡路・東日本大震災なども紹介されていて、その視野の広さに驚く)について見たあと、階を降りながら惑星・生物の誕生を見て、最後に鉱物の階へ。ジュエリーとしてだけではなく産業の点からも様々にアプローチされていて楽しめます。
後半は館の反対側へ移り、生物の剥製や化石を見てきました。恐竜の化石コーナーは特によかったです。「恐竜は動物か?」の問いが書かれたパネルから始まり、恐竜の生態を巡る論を分かりやすく解説しながら、すぐ側に、上に(天井から吊して、透明の板で脚を支えているので、化石の真下を通ることができます)化石を見ながら順に巡っていきました。何とも充実した展示でした。
他の生物の化石も壁面にびっしりと額に入れて展示してあったり、意外と触れるものも多かったりして視覚的・触角的に楽しい博物館でした。子供も多かったです。化石を見つめる男の子が目を輝かせながらご両親と話していてほほえましかったです。
少し意地悪く見ると、「地震がないからいいよねえ」とか、「こんなに多くの化石や剥製、どうやって手に入れたんだろう」と思ってしまいますが、それはさておき、素直に楽しいと思ってもらう工夫は見習わないとなあと思いました。
それにしても、化石や鉱物はどうして人をこうも引きつけるのか。すでに絶滅してしまった生物への想像力をかきたてるのか、人の力では生み出せない(今はできますが)ものが畏敬の念を起こさせるのか。チャペックも自然の「法則と形態の創造」の神秘や正確さに心を奪われたようです。それは思わず、詩について「なんと奇態に乏しく、なんと大胆さと正確さに欠けるものだろう!」と言わしめるほど。ロンドンに来たら一度行かれることをお勧めします。

2.11.16

三角コーナーとサンタンデールのレンタル自転車

ロンドン留学中の大学時代のサークルの後輩が、フェイスブックで三角コーナーを売っているお店を探しているんだけれども、知っていたら教えて下さい、といった内容を投稿していました。その後、旦那とひとしきり「なぜ日本人は三角コーナーに異様な執着を見せるのか」について結構真剣に話し合いました。
私の実家では三角コーナーを使っていなかったので、一人暮らしになったときも使わず、生ゴミ用の袋を台所の空いた場所に置いてました。夕飯後の片付けのときに捨ててます。今もそうです。
三角コーナーって洗う度に水がかかりそうだし、シンクとの接着面が汚れたままになりそうだし、生ゴミは放っておけない(確実にネズミの餌になります)し、何よりシンクが狭い(大小のシンクが並んでいて、しかもどちらも大きくない)ので、あまり実用性が無いよねえ、ということで一致しました。

ロンドン市内には格安で借りれるレンタル自転車(サンタンデール銀行が提供)があり、歩道の脇にずらっと並べてあります。側に券売機のような機械があるので、そこでお金を払って自転車を借り、乗り終わったら乗り場につないでおくというものです。激しい交通量や2階建てバスが自分の前後を走る恐怖を思うと乗る気にはまったくならないし、旦那からも「自転車だけはやめて」と言われているので、今後も乗らないと思います。
ですが、この自転車のライトが面白くて、点灯すると緑色ライトが2メートルほど先の地面に自転車の形を映します。道路や自動車のライトは赤や黄が多いので、緑色はそれに対して目立つから採用されたのかと思います。が、自転車形は一体誰のため・・・?やはり対向車だったり、脇を歩く人向けなのでしょうか。同じ方向を走る自動車からは見えにくい気がします。
ものの使い方や利便性って難しいと思ったのでした。

28.10.16

10月10日はトム・クルーズの日?

毎週金曜日に放送されるThe Graham Norton Show というトーク番組があるのですが、先週の回の冒頭、司会者のグラハム・ノートンがこんなことを言ってました。
「トム・クルーズの日が終わってしまいましたね。日本では、10月10日はトム・クルーズの日なんですよ」
知らない・・・と思ってインターネットで検索してみたら、確かにそうらしいのですが、10月6日という説もあるそうです。どっちなんでしょう?
どうしてその話になったかといえば、映画「ジャック・リーチャー」が公開されるので主人公役のトム・クルーズが出演していたのでした。グラハムからは「日本に行ったら買い物で半額になるの?」と聞かれていましたが・・・

21.10.16

中秋節の提灯飾り

チャイナタウン。赤提灯が鈴なりに飾られていました。青空によく映えます。10月1日撮影。

3.10.16

新学期が始まる

一時帰国中にビザの取得も終わり、先々週ロンドンに戻ってきました。次の日から早速学生登録手続き、学科のミーティング、博士課程新入生説明会、と立て続けにあり、今週からようやく授業です。博論提出までのカウントダウンが始まりました。

5.9.16

修論提出

今日の午前中、修論を提出してきました。もちろん学校の課題提出ウェブサイトにアップロードするのも終わりました。やっと一安心です。
しかし、ここに至るまでには、実に色々なことがありました。私は事情があって、締め切りよりも10日早く提出しなければならなくなりましたが、それができたのは普段の怠け癖をひっぱたき、比喩としても文字通りにしてもひたすら甘い物で釣り、早めに準備をしてきたことに尽きます。7月末に、指導教官に見てもらおうと思って書いた4500語ほどの草稿(の草稿)が役に立ちました。
校正には結局やりとりで2日かかり、3時間15分の作業時間に対して、少し負けてくれて合計80ポンドお支払いしました。しかし、そこからがまた長い。美術史には図版がつきもので、しかもこちらでは文章中に入れ込むのが良いとされているため、写真とキャプションを入れ込む作業が延々と続きます。
何とか配置し終わると、印刷と製本が待っています。私は家の近くにあった文房具屋ライマンに原稿を持ち込み、リングで閉じてもらいました。お値段1冊4ポンドほど。この点、日本より楽かもしれません。
しかし帰ってからすぐ、宣誓書 (declaration) を入れるのを忘れたことに気づき、もう一度やり直すはめに。SOASから送られてきた宣誓書とやらが、そう簡単にコピーアンドペイストできなかったりして、旦那に手伝ってもらって何とか入れ込み、ページ数を修正してやっと完成。それを製本して完了。
ではウェブサイトにアップロード、と行きたいところが、8月中旬に始まったウェブサイトの工事がまだ終わっていないようで、うまくアップロードできず。学校のITサービスはもちろん週末は休み。結局、土曜日にすべて完成したものの、提出とアップロードは今日完了となりました。修論提出の時期にどうしてウェブサイトの工事なんかするんでしょう。理解できません。
学科の事務所に製本した修論を持って行き、受領書を受け取ったときのこと。2月に題名だけ出しておいたのですが、写すときに間違えたのでしょう。綴りミスが多すぎて笑えます。
"Kano painters and shotguns in the midedo period of Japan"
ショットガンじゃなくて将軍です。自動綴り直し機能がよく働いたようです。

1.9.16

修論校正中

今、修論提出に向けて校正作業の真っ最中です。10日ほど繰り上げて出してしまおうと思って早めに準備してきたものの、想定外のことがあったりして時間がかかるものです。エッセイ2本分と甘く見ておりました。
SOASには校正をしてくれる人がいて、1時間25ポンドで原稿を見てもらえます。今日1時間分を昼過ぎに送ってもらいました。これで原稿の半分ほどの分量になります。ただし、私は構成や論旨展開ではなく、文法と語法のみに絞ったのでこの分量でした。「残りの半分は今日の夕方やるわ」と担当者は言っていましたが、まだ原稿は来ず(現在夜11時半)。明日もう1時間で何とかなるようにしたいものです。
校正用アプリ Grammarly というのがあります。旦那が使い始めたので、SOASの校正に出す前に一度こちらで確認しました。便利といえば便利ですが、分野によっては向き不向きがあるようです。私は徳川将軍の御成をテーマにしましたが、the shogun がスペルチェックでしょっちゅう引っ掛かりました。英語以外の言語が入っていると、どうもそちらに気が取られるようです。

14.8.16

古本も扱うイギリスの本屋


大学の近くにウォーターストーンズ(Waterstones)という本屋があります。建物からして重厚な構えですが、中も赤紫がかった絨毯に黒い本棚が壁を埋め尽くして落ち着きのある、時間が止まったような感さえある本屋です。
2週間前、オックスフォード辞典を買いに久しぶりに訪れました。辞書ソフトウェアを買えばいいのかもしれませんが、紙の辞書でないと都合が悪いこともあるのでとうとう買おうと決心したわけです。
すべてのウォーターストーンズに当てはまるわけではないのかもしれませんが、このゴーワー・ストリート角に立つお店は古本を扱っているのが特徴です。中には18、19世紀に遡るのではないかと思われるものも置いてあります。しかも、古本用の場所が取ってあるだけではなく、新刊本と同じ棚に平然と並べてあることがあります。前回本を購入したとき、レジで係の男性が「これは中古品だから値段は○○ポンドです」と言うので驚いたことがあります。本の裏表紙を見てみたら、中古品用のバーコードが貼ってあり、表紙を開けると鉛筆で値段が書き込まれていていました。もしかするとイギリスでは中古品を扱うための資格等が必要ないのかもしれません。以前オックスフォード・ストリートの大型ファストファッション店に行ったとき、1950〜60年代のブローチが安く売られているのを目にしたことがあります。1個購入して以来、スーツを着るときに重宝しています。
さて、辞書コーナーに行き、目当ての棚を眺めること数分、辞書を見比べること20分、オックスフォード辞典の第7版、8版、9版のうちどれを買おうか悩んでいました。どの版がいいか事前に調べてくれば良かったと後悔しつつ、入り用なので今日なんとしても買って帰りたい。8版と9版は比較的最近出版されたもので、インターネットで英文法や校正を練習できるソフトがついているらしい。しかしそのためか値段が高くて、どちらも40ポンド近くする。対して7版は10年前だけれども、まだ使えそうだし、本側面の見出しが印字されている(8版と9版にはなくて、使いづらそうに見えた)、しかし少し汚れているけれどもなぜだろう、はてその値段は、と見てみると、これが中古品でした(以前の持ち主の名前も書いてありました)。バーコードは貼ってありませんでしたが、中に「£12.50」と鉛筆書きを発見。なんと他の2版の半額以下。迷わずこれに決めてレジへ持って行き、担当者に一応中古品であることを伝えると、「いい買い物だね!」の言葉とともにこの値段で購入できました。
古本も扱える制度というのは不思議ですが、出費を抑えたい学生にとっては助かることこの上ないものです。今では大活躍の辞書、これからもお世話になります。

31.7.16

英語の先生の思い出

先月受けたIELTSの結果がようやく帰ってきました。ライティングとスピーキングがなかなか点が上がらなかったのですが、今回はどちらも大学で推奨されている点を取ることができたので少し安心しました。「少し」というのは、本当はあと0.5ずつ上の点数を取りたかったからですが、これは次回への課題といたします。
SOASに入ってから、教師と1対1で行う英語のコースを取ってライティングを見てもらったのが功を奏したように思います。先生は、体格のがっちりした、いかにも強そうなおばちゃんといったふうのイギリス人の先生で、話し方も外見を裏切ることなく豪快な人でした。初めての授業の日、自己紹介で「日本人なので冠詞が苦手です」と言うと、大笑いして「あなた、面白いわねーっ(←この部分だけ日本語)」と返されたことを思い出します。日本に英語教師として数年住んだ経験もあるので、日本人の苦手分野がよく分かっているようで、冠詞だけではなく、自然な文章の作り方や副詞の効果的な使い方なども教えてくれました(「あんたの文章は短すぎる。最低20から30単語はないと」)。内容があまりに濃いので、1回30分、全5回の授業があまりにも短く感じたほどです。
ある日、私が書いたものを見せたとき、先生、「あら、あなた以前アイルランドにいたの?」と聞いてきたので、「アイルランドには行ったことないですよ」と答えたことがあります。それを聞いて先生、「この to be sure っていう表現だけど、アイルランド英語よ。ブリティッシュ・イングリッシュじゃないわ。どこで覚えてきたの?」と言うではないですか。 「アメリカにいたときに周りの人が使ってたと思うんですけど。何かの記事でも見たことがあります」と驚いて伝えたら、「アメリカはアイルランド系移民が多いからよ」とにべもなく返されました。「私たちは使わない」と。旦那の知り合いの英語教師の方にも聞いてみましたが、やはり同じ答えでした。
この授業が、イングランド人の英語こそ英語である、という強固な信念を始めて垣間見た瞬間で、「別にどうでもいいじゃんか」という生半可さはこの国では到底許してもらえそうにない、と覚悟しました。特にアメリカ英語に対する厳しい視線をひしひしと感じます。前述の旦那の知り合いは、「アメリカ人の英語って単純なのよね」とさらりと言ってのけました。しかし、地球上で最も話されている言語の1つであり、公用語としている国や地域も数多い言語ゆえ、ブリティッシュ・イングリッシュなるものを識別するのは結構大変です。本を読み、ニュースを聞き、の連続と積み重ねで何とかするしかないのでしょう。
最後の授業で、その先生は「テスト頑張ってね」と言ってくれたあと、「北海道のスキーは最高だわ。雪質がとてもいいのよ。また行きたいわ」と目を細めていました。またお目に掛かりたいものです。

20.7.16

ビザ申請で帰国することに

ちょいと困ったことに、我々夫婦はビザ更新のために9月中に一時帰国せねばならんことになりそうです。
去年までは、博士課程のオファーをすでにもらっていて、修士課程修了見込みであれば、イギリス国内でビザ延長の手続きができました。
それが、今年4月の改定で、ビザ延長には修士号を既に持っていないといけないということになり、でも修士号授与の決定は大抵11月から12月にかけてで、10月には終わってしまう学生登録には当然ながら間に合いません。できることはただ一つ、一度本国へ帰って新しいビザを申請することです。
移民対策とはいえ、どうなのでしょう。友人からは「ブレクジットの影響なのか」と心配されましたが、4月にあった変更なので関係はありません。ただ、これがすぐに大学へ通知されるわけではなく、ガイドラインが7月に上がってくる、というのは迷惑ですな。もうちょっと早くできないのか。修論執筆もあることですし。
メイ首相は、イギリス国内に5年以上住む非EU圏の人々に対して、最低年35,000ポンドの収入があることを証明できなければ本国へ帰させる、といった政策を実行したいようです(ちなみにイギリス人の平均給料は年およそ25,000ポンドとのこと)。いやはや、住みづらくなりそうです。

11.7.16

次期保守党党首が決まる

2時間前、アンドレア・レッドサムが保守党党首選から脱退することを発表、次期保守党党首はテレーザ・メイに決まりました。驚き半分、納得半分といったところでしょうか。
驚き半分というのは、すでに候補者として確定したのに、早い時期に辞退したこと。納得半分は、先週末からの一連の報道で、「こりゃもたないだろうな」と思っていたら、事実そうなったということにつきます。
先週末、タイム紙のインタビューで、レッドサムが「メイには子供がいないが、自分は母親だからこの国のためにできることがあるし、有利である」という発言をしたことが掲載され、証拠の音声も公開されたのです。これが、国会議員からだけではなく国中から強い批判を招きました。子供がいようがいまいが、有効な政策を打ち出して実行できるか、その職に見合う能力・経験を持っているのかが問われるべきです。これは保守党党首だけではなく、どんな仕事にもいえることだと思うのですが。
経験については、レッドサムの実績が疑問視されており、メイと比較してやはり数段劣ることが、党首選で不利だろうとすでに言われていました。そこへ母親発言が追い打ちをかけたわけです。
BBCのコメンテーターだったと思いますが、「レッドサムはEU首脳陣とやり合うための経験もなければ、ジャーナリストへの対応もまるで分かっていなかった。党首になるための準備ができていないかった」とばっさり切り捨てていました。

というわけで、次期党首・首相はメイで決まり、キャメロンと交代するのがいつになるかが関心の的となっています。
メイの発言を聞く限り、かなりの強行派です。もともと残留派でしたが、"Brexit means Brexit!"ときっぱりと意思表示をしています。「メルケルとやり合えるのは私」と言い切る彼女はかなりの胆力の持ち主といえるでしょう。しかし、それだけではなく、ユーモアのセンスも持ち合わせています。「私はこれまでに、EUでの会議で様々な交渉にあたり、実際に功績をあげてきました。ボリスがEUでの会議のあと持って帰ってきた物を覚えてます?放水車だけですよ(ボリス・ジョンソンが買った3台の対デモ用放水車のこと。ちなみに、現ロンドン市長のサディク・カーンは、「必要ないので売却して、その売上金を若者支援に使う」と言っています)」
メイはカリスマ性に欠ける、という批評家もいますが、たとえ持ち合わせていても政治的成功には必ずしも結びつくわけではない。その人には、「キャメロンにはあったのでしょうか?」とぜひ聞いてみたい。そして首相になったときはあれだけの人気を誇ったブレアも、今やイラク戦争についてのチルコット報告書によって戦争責任を問われています。一方、「メイは実務経験はあるけれども、国の制度や方針を全面的に変えることができるほどの発想力はない。『第2のサッチャー』にはほど遠い」という意見もあります。それはこれから次第でしょう。
以上お昼のニュースでした。

30.6.16

財布を取り戻すまで4 大使館から財布が届いた

さて、ビザセンターから帰った次の日、早速連邦警察宛に、財布をすられたことと、財布の中に入っているであろうカード類の内容をメールを書き、そしてベルリン警察の盗難届を添付して送りました。ちなみに、ベルリン警察の担当者(盗難届を発行してくれた警察官)にもCcで送ったところ、その人からは、私の財布が連邦警察に届いているのを確認した、と返信がきました。
それから1週間ほど経った頃、連邦警察から連絡が来ました。確かに私の財布であり、カード類とコインは無事であること、もしドイツに来ることができないのであれば、在ベルリン日本大使館に送るので連絡を待つ、という内容でした。
ここで、在ベルリン日本大使館の領事部に電話して事情を伝えると、領事部宛てに詳細をメールを送るように言われました(「財布が戻ってくるなんて珍しいですねえ!普通はあり得ないですよ」とのこと。そりゃそうですな)。
連邦警察には、領事部にも伝えたので大使館へ送って欲しいことを伝え、領事部には送料を振り込み、明細をメール添付で送付。その時点で先週金曜日の3時を回っていたので、月曜日に振り込まれ、それを確認した大使館職員の方が当日発送、今日の朝ロンドンの我が家へ届いた次第です。
お世話になった方にお礼のメールを送ったら、連邦警察からは、「お役に立てて幸いです。ですが、私は自分のするべき仕事をしたまでです。迅速な対応を取った大使館にも、ぜひお礼をお伝え下さい(文法がやや怪しかったが意訳するとこんな感じ)」、ベルリン警察からは、「財布が戻ってきてよかったですね。次のベルリン旅行はもっと楽しいものになるといいですね(本当ですね・・・)」と返ってきました。
ところで、郵送方法を書留にしたので6.2ユーロでしたが、海外送金なので振込手数料が大幅にかかり、書留代よりそちらの方がよっぽど高くついてしまいました。が、財布を取り戻せたのでよしとするべきでしょう。
何か手がかりを掴んだら、決して離さず、我慢強く追い求めれば必ず何とかなる、ということを身を以て学びました。でももう勘弁してほしい。

29.6.16

財布を取り戻すまで3 アルファベットを電話で聞き取るのは難しい

連邦警察と地元警察をたらい回しにされたわけですが、ようやく目当ての部署に辿り着き、連絡先としてあちらのメールアドレスを書き留める段階になりました。しかし、メールアドレスを聞き取るというのは超難関。単語と文章ならともかく、単発の音を電話を通じて聞き取るというのは、結構難しいです。しかも、私も担当者も英語母語者ではないのでなおさらです。会話はだいたいこんな感じでした。
係員:「まずはb」
私:「えっ、bですか、pですか、それともv?」
係員:「bravoのbです」
私:「abのbですよね?」
係員:「そうですよ」
アルファベットにはフォネティックコードというものがあり、そのアルファベットが先頭に来る単語と一緒に伝えることで分かりやすくする通話表があるということを後で知りました。が、そのときはつゆ知らず。普段聞き慣れない単語をいきなり言われても、かえって混乱するだけでした(LimaのLとか)。なので、「abのbですよね?」のような確認をいちいちしていったわけです。それに、ここで聞き逃してメールを送ることができなかったら、財布を取り戻せない!という強迫観念に後押しされ、一文字ずつ、かなりしつこく聞き返しました。
係員:「次はp」
私:「pqrのp?」
係員:「そうです、Peterのp。次はo」
私:「lmnoのo?」
係員:「そうです、Oscarのo」
(中略)
係員「次はpunkt」
私:「・・・それピリオド(.)ですよね?」
係員:「そうそう」
ドイツ人なので普段使っている句読点がついドイツ語で出てしまったのでしょう。しかしこれだけではなかった。
係員:「次は####」
私:「えっ、何ですか?」
係員:「####」
私:「はあ?」
「####」がまったく聞き取れん。ただ、それまでに言われた文字数の長さから、おそらくこれではなかろうか、と思い当たるものが。
私:「それって、アルファベットのaが円の中に入っているものです?」
係員:「それですよ!」
そう、@のことでした。しかし、なぜ世界中で使われているものなのに名前が国によって違うのか。これぐらい統一すればよいではないか。ちなみに、ドイツ語ではこの記号のことを「Affenschwanz(猿のしっぽ)」とか「Klammeraffe(ぶら下がった猿)」などと言うんだそうです(そういえば今年は申年ですね)。音数が長かったように感じたので、この2つのうちどちらかを係員は言ったのだと思います(多分後者のような気がする)。
こんなやりとりをあと数分続けて、最後にもう一度すべて確認し、後でメールを送ることを伝えて電話を切ったときには、最初に電話をかけてから40分ほどが経っていました。この間、相手に何とか状況を伝えようと必死になったためか、話せば話すほど滑らかに英語が出てくるのを実感。が、ぐったりと疲れました。それでも、財布のありかと、連絡する相手が分かったのは幸いでした。
電話を切ってからずっと横で聞いていた旦那が言いました。
旦那:「いやあ、すごかったよ。話している間にどんどん英語がうまくなっていってたよ。こんなに話せたらいいよなあ」
私:「そう?じゃあお財布落としてみる?鍛えられるわよ」
旦那:「・・・いや、遠慮しとくよ・・・」


28.6.16

財布を取り戻すまで2 連邦制の落とし穴

翌日、ソリフルに着いてからビザセンターに行くまでに時間があったので、ベルリン警察署でもらった盗難届に書かれていた遺失物保管所に電話をかけてみました。
しかし、「ここには無い」の一点張りでらちがあかず、「ここに電話して」と連邦警察のとある部署の電話番号を言われて切られてしまいました。
仕方がなくその番号にかけると、最初は「英語は無理です」と言っていたものの、途中で英語が話せる人に交代してくれたので、こちらの状況を伝えることができました。しかし、その男性の係の人が署のパソコンネットワークで調べてくれたものの、私の財布は登録されていないと言うのです。その人曰く、ドイツは連邦国家なので、警察も連邦警察と地元警察に分かれており、パソコンのネットワークシステムも別物なんだとか。なので、財布を拾った人が届けたという地元警察に聞いてみるとよい、とのことでした。
それで、その地元警察署にかけてみたら、やはり「英語は無理」「ここには無い」とぶっきらぼうに言われ、挙げ句、別の番号に電話するようにと番号を言われてまた切られる、という始末。
さすがに心が折れそうになりましたが、ぐっとこらえてまた電話をかける。かけた先は連邦警察の、先ほどとは別の部署。ここもたらい回しにするのだろうかといぶかしんだのですが、対応に出た女性係員が調べてくれたところ、地元警察から連邦警察のどこかの部署(失念)へ私の財布が送られたことが分かりました。「ここにはあるから安心して下さいね」との言葉にどれほどほっとしたことか。ただ、ベルリンで、電車の中ですられたと伝えると、「彼らうまいのよね〜。そう思わない?」と、とても陽気な返事が返ってきました。「あなたがそんなことを言っちゃ駄目でしょう。取り締まりなさいよ!」と言ってやりたかったけれども、親切な人だったのでこらえました。
「ではここへ電話して」と言って渡された番号はしかし、先ほどかけた連邦警察の部署と同じ番号。まだあちらに届いていないだけだから、メールで詳細を送りたいと伝えればよいと助言をもらい、またかけ直しました。
男性係員には「また君かい?」と驚かれましたが、まだ登録されていないだけで、もうすぐそちらに届くはずだと説明し、メールを送ることで合意。「じゃあこれからメールアドレスを言うからペンと紙はある?」と聞かれ、メールアドレスさえ聞ければこっちのもんだ!と意気込んだのですが、これが一苦労でした。

27.6.16

財布を取り戻すまで1 フェイスブックに登録しておいてよかったこと

ベルリンですられた財布が、近日中に帰ってきます。もう幸運以上の幸運としかいいようのないこの出来事は、フェイスブックに登録していたことで起こりました。
実はスリに遭った日の夕方に、見知らぬ人からフェイスブックのメッセンジャー経由でメッセージが届いていました。ただ、私は普段から、見知らぬ人のメールやメッセージは絶対に開けないので、そのメッセージも放っておいていました。
それが、BRPカード申請にソリフルまで行く日の前日夜、同じ人からまたメッセージが届いたのです。
「またか」と思って消去したのですが、2回も送ってくるならさすがに何かあるのだろうと思い、パソコンでフェイスブックを開けてみてびっくり。「あなたの財布を拾ったので渡したいのだけど」と、スリに遭った日にメッセージが入っていました。おそらく財布の中に入っていた学生証を見て、それをもとにフェイスブックを探したのでしょう。私の顔写真と在籍中の学校名を載せていたので見つけることができたのだと思います。
「財布が返ってくるかも!」という興奮と、「この人、犯罪者だったらどうしよう」という不安と戦うこと10分、とにかく今持っているのか聞いてみようと旦那と意見が一致し、思い切ってこちらからメッセージを送りました。返事が遅くなったことを侘び、連絡してくれたことにお礼を言い、今財布を持っているかと聞いてみたわけです。
すると、「地元の警察に渡しました」と返信が来たので、警察署の住所と、届出人の名前を教えてもらいました。お礼を言い、その日はもう遅かったので、明日ベルリンへ電話をかけることにして就寝。
しかし、ベルリン警察とのやりとりはそう簡単ではありませんでした。

24.6.16

EU離脱が決まって思う今後のこと

EU離脱派が100万票以上の差をつけて勝ちました。こういうことになるとは、と正直かなり驚いています。先ほどキャメロン首相の発表があったばかりで、今回の結果による混乱を収めるために10月までは続投すると言っていました。イギリス国内にいるEU出身の人々(特に医療関係者)の不安を払拭したいとの思いはあるでしょう。ただ、実際にEU離脱手続きに入るための第50憲章 (Article 50) の引き金を引くのは新首相になるようです。キャメロンは、「今まで幸運が続いていたのに、最後の最後で運に見放された首相」と言われています。

友人達もこの結果を嘆いていました。彼らにとってみれば、EUに入っているイギリスしか知らないわけで、離脱したらどうなるのかを本当に心配しています。
SOASの今後も課題だらけです。EU圏からの学生を見込めなくなったら、経済状況のまったく芳しくない学校なので、「これでSOASはUCLに身売りしてしまうんじゃないか」との懸念が出ています。ただ、EU圏外からの学生をもっと取れば(特に中国)、彼らからは高額の授業料を取れるのでその方がいい、という意見もありますが。次の政権が高等教育に対してどう対策を取るのか、目が離せません。でも授業料は毎年上がっていくんですよねえ。これは変わらない。

私ら夫婦が昨年9月にイギリスにやってきたときは、1ポンド190円近かったのに、今や140円台です。何なんでしょう、これは。不動産屋に預けていた敷金を考えると、頭を抱えたくなります。学費も今の為替で計算したら、去年から60万円も安い。つくづく、政治と経済は分からんものだと思います。

23.6.16

BRPカード取得まで

BRPビザを取得してイギリスへ帰ってきた翌日、早速BRPカード取得手続きにかかりました。
UKVIのホームページから個人情報を登録し、メールで送られてきたリンクから飛べば、必要な書類を説明しているページや予約ページに辿り着きます。ビザセンターとそこへ行く日を選んで料金を払えば予約完了ですが、国籍によって赴くビザセンターが異なるので注意が必要です。日本人が行くことのできるセンターはロンドンには無く、私はバーミンガムに近いソリフルという街に行きました。
それから計20枚ほどの書類をダウンロードし、必要な箇所に書き込み、写真を用意し、他の必要書類も用意しました(最初にBRPを申請したときに持参した書類一式と、配偶者ビザなので戸籍抄本の英語訳、ベルリン警察作成盗難届の英語訳)。なぜカードをなくしたのか理由を書く欄がありまして、そこには自分の落ち度ではなかったということを説明するために、スリに遭った状況をなるべく詳細に書き込みました。

さて予約日当日。朝8時台の電車に旦那と乗り込むこと30分ほどでしょうか、突然携帯が鳴りました。誰だろうと思って出てみると、ビザセンターの係員が、「今日の予約なんですが、他の人で立て込んでいまして、別の日にずらせないですか?電車のチケット代は払いますので」と言ったのです。
別の日にされてはたまらない、というよりもう電車に乗ってるよ!ということで、「もう電車でそちらに向かってます」と言うと、「それならいいです」と電話を切りました。何という役所仕事だ、そっちの都合でこちらの予定を乱すなんて!と腹立たしいかぎり。

その後は特に支障は無く、無事書類を提出し、その4日後にBRPカードを受け取りました。優先ビザにしたから早く届いたわけですが、高額の費用にため息をつきました(すまぬ、旦那よ・・・)。

ただし、悪いことばかりではなく、良いこともある、ということをしみじみと思うことがありました。それは次回。

20.6.16

チェコの地下鉄駅で見たもの

友人達を見送り、旦那が到着してから泊まったのはI. P. Pavlova (イー・ペー・パヴローヴァ)という駅から歩いて10分ほどのホテルでした。
駅に着いて改札を出る直前、目にしたものがこれ。犬たちが電車の中で人間的な活動に従事しています。

近寄って撮影。

駅名からも分かるとおり、「パブロフの犬」で有名な、イワン・ペトローヴィチ・パブロフの名を冠する駅ですが、なぜ彼の名が駅名になったのかは分からずじまいでした。
そして何よりもこのシュールな絵。日本の某CMを上回るシュールっぷりに、シニカルな表現が好きというチェコ人の気質を感じ取ったのでした。


19.6.16

ハプニングだらけの旅5 プラハ2

これは私の体験談ではなく、友人の友人であるTのものです。
プラハという場所は、実に細かい所でお金を旅行者から取っていきます。Tはプラハ城の近くにあるペトリンタワーに登り、帰るためにケーブルカーに乗りました。ところが降りるときになって、駅員から「学生証を見せろ」と言われたのだそうです。
そこで大学の学生証を見せたところ、「これじゃだめだ、国際学生証じゃないと」と言われ、そんなものは持っていないし、別に通っている大学のものだからいいじゃないかといっても係員は首を縦に振らず、罰金800コルナを巻き上げられたというのです。
Tは怒り心頭に発し、「プラハを燃やしたい」と息巻いておりました。
インターネットを見ていると、「赤信号なのに道路を横断したから罰金」とか、「チケットを改札に通さなかったから罰金」など、旅行者を狙ったとしか思えない事件が多発しているようです。
プラハへ行かれる皆様、くれぐれもご注意ください。正しい場所と青信号で歩道を渡り、チケットはちゃんと購入して改札に通しましょう。

12.6.16

ハプニングだらけの旅4 プラハ1

さて、お次はプラハ。
プラハ城を見終わった後、ロブコヴィッツ城を見たい私とA、市内で髪を切りたいVとそれにくっついていくことにしたPの二組に分かれて見学することになりました(なぜかプラハで髪を切る旅行客が多い)。
ロブコヴィッツ家はプラハの苦難の歴史とは切っても切り離すことのできない家で、三十年戦争の引き金となったプラハ投擲事件の被害者を匿ったのもこの家。大変裕福で、広大な土地や膨大な美術品コレクションを所有していましたが、第2次大戦前にナチスの手を逃れて国外逃亡せざるを得ず、当然財産は没収。やれ戦争が終わって財産が返却されたと思ったら、今度は共産主義国家になってしまってまた没収され、一族はチェコが民主主義国家になるまでの数十年間を、やはり海外で過ごさなければならなかったといいます。今はプラハに戻っているようで、その膨大なコレクションを管理・公開しています。ちなみに、オーディオガイドではご本人達が説明しています。
ハイドンやベートーヴェンなど、大物作曲家・演奏家を援助していたことはここで初めて知りました。特に、ベートーヴェンには毎月給料を支給していたようで、交響曲3番(「エロイカ」)、5番(「運命」)、6番(「田園」)はパトロンであったこの家の当主に捧げられたのだとか。直筆の楽譜も展示されていて見応えがありました。
その他の展示品もすばらしく、私とAは終始テンションが上がりっぱなしの状態で、興奮冷めやらぬまま城を後にしました。そして他友人二人と会うため、待ち合わせ場所へ向かいました。
到着して不思議に思ったのは、Vの髪の毛の長さがまったく変わっていないこと。理由を聞いてみると、午後4時頃に美容院に着いたものの、閉店時間だったらしいのです。仕方がないので、おいしいと評判のレストランに入って時間をつぶすことにした二人。ウェイターが特に何かを勧めることもなかったので、メニューを広げて料理のそばに星印がついていた、チーズを揚げたようなものと、ビールを頼みました。ところが、これが特においしいと感じられるものでもなかったようなのです。
しばらくしてウェイターがやってきて、「味はどう?」というようなことを聞いてきたので、「うーん、まあまあ」と応えたら、そのウェイターの返答に二人とも唖然としたのだそうです。「だって君たち、僕にお勧めの料理があるかどうか、聞かなかったじゃないか。料理のそばについている印は店が勧めたいだけで、おいしいとはかぎらないんだよ。僕には僕の意見があるからね」
初めて会う人に対してそう簡単には心を開かないといわれるチェコ人の気質が、レストランでも大いに発揮されたのでした。

6.6.16

ハプニングだらけの旅3 ドレスデン

ドレスデンのツヴィンガー宮殿を見てトラムで宿に帰る途中、「最寄りのスーパーに寄って食材を買っていこう」と話していたときのこと、乗っていたトラムが突然停車。しかもアナウンスで「道が封鎖されて進めないので、降りて下さい」と説明がありました。他の乗客も次々降りていくので私たちもそうすることに。
道の反対側を見やると、ちょうど向こうから大勢の人がドイツ国旗やザクセン州旗を掲げて、何か叫びながら行進しているところでした。それだけではなくて、複数の警官が急いでこちらへ駆けてくるではないですか。
その場にいた大学生らしき男の子に何があるのか聞いてみたところ、難民受け入れ反対を掲げる団体がデモ行進をしている、と言われました。
トラムの運転手のおじさんが、車内で待ってていいよと言ってくれたので中に入り、行進をひとしきり見ることに。30分ほど経ってようやく封鎖も解除され、トラムは動き出しました。
その後スーパーで買い物をして帰る途中のこと。雨が降り出して傘を差していたため、私はまったく気がつかなかったのですが、道の反対側から歩いてきた人たちが私たちをみて、"Auslaender! (外国人!)" と叫んだと友人たちが言っていました。
ドレスデンではペギダ(Pegida)と呼ばれる反イスラムグループが急速に拡大しているようで、難民の受け入れを拒否するようデモ行進をしばしば行っていることを後で知りました。つい数ヶ月前にはケルンで反イスラムを掲げる人々と警察との衝突があったばかりです。難民受け入れを巡って対立が激化していることを間近に見ることができました。反イスラムが反外国人になっていくのは現在進行形ということも。
メルケル首相は移民・難民受容に積極的なようですが、彼らをどうやって支援していくのかが問われるでしょう。イギリスでも日本でもそうですが、国の経済成長を加速させたいのであれば移民等海外からの労働力を呼び込むべき、という主張をよく聞きます。移民を「人」として見ていないような感じがして個人的にやや嫌悪感を覚えますが(足下見てるよなあと思う)、理論的に、そして数字だけ追えばそうなのかもしれません。日本の人口はこれからどんどん減っていくでしょうから。
ただし、やってきた人々の日常生活を支援していく制度等が無い限り、彼らが社会に適応していくのは難しいと思います。数年前のロンドンテロも、社会に自分の居場所が無いと感じるイスラム教徒の若者の犯行でした。日本だって、例えばムスリムの社員や学生から「日に何度かお祈りをしたいです」と言われて、「じゃあ祈祷室はこちらで」というやりとりができるところなんて、ほとんど無いでしょう。
言葉も文化も異なる人々を受け入れることの難しさと、世界情勢の深刻さを目の当たりにしたのでした。

5.6.16

ハプニングだらけの旅2 ベルリン2

財布を盗まれた後、警察に行って盗難証明書をもらい、実はイギリス大使館に行っていました。業務終了時刻が近づいていたのでタクシーに乗っていった、その道中での運転手のおじさんとのやりとり。
運転手:「ロンドンから来たんだって?エリザベス女王は90歳になったんだろう?」
私(助手席だった):「そうそう。ノインツィッヒ(ドイツ語で90)。単語合ってます?」
運転手:「合ってるよ。でも発音は、『ほおいんつぃっひ』(「ほお」で大量の息が喉を擦る音とともに)だよ」
ドイツ語学習経験者はおそらくお分かりになるだろうと思うのですが、お腹から凄まじい量の息を流しながら話すネイティブの発音を経験した次第。
この緊急事態になんてまあ間の抜けた会話をしているんだろう、と思う間にイギリス大使館到着。でも事情を話しても結局中には入れてくれなくて、宿に帰ってUKVIのホームページから手続きをすることになったのでした。

4.6.16

ハプニングだらけの旅1 ベルリン

今回は、財布をすられたことの他に、思わぬ出来事に驚いたり、色々と考えさせられることの多い旅でもありました。
まずベルリン。我々4人はスポーツにまったく関心が無かったので、当然のことながら知らなかったんですよ、まさか5月21日にDFBポカール(ドイツサッカー連盟杯)の決勝戦、バイエルン・ミュンヘン対ボルシア・ドルトムント戦がベルリンで行われるということを・・・
前日BRPビザの申請で寝るのがすっかり遅くなったため、朝遅く起床した我々は、早めのお昼を外で食べることにしました。駅のホームで電車を待っていたところ、黄色いユニフォームを着たおっさん達一行が電車から降りてくるのを見たわけです。その内何人かは手にビール瓶を抱えているし、頭には角が生えた帽子を被っているし、とにかくやたら大きい声で歌っているしで、なにやらただ事じゃないぞという雰囲気をこれでもかというほど発していました。レストランに着いてみたら、奥のガーデン席は黄色いユニフォームを着た人たちで埋まっているという状況でした。ただ、このときは小さな子供を連れた家族連れも何組かいたので、あまり気にしなかったわけです。
その後シャルロッテンブルグ宮殿を見て、夕ご飯を食べに中心部へ出ようという電車の中で、「もしかしてサッカーの試合でもあるのかな」と、そのとき初めて気づいた私。調べてみて仰天しました。だって決勝戦ですよ?昼間のファン(フーリガンというべきか)の様子から見てこれは絶対に夜危ないと思った友人Aが、「今日はすぐに帰って宿でご飯を食べよう」と強く主張し、急遽帰ることにしました。
ところが、乗り換えの駅で宿の方へ向かう電車に乗ったはずが、何をどう間違ったか反対方向に行ってしまい、しかも終点が当の決勝戦が行われるスタジアムのある駅という、とんでもないところに着いてしまったのでした。降りてみると、がっちりした体格の警官がすでに大勢詰めており、黄色と赤のユニフォームを着たファンがスタジアムへ続々と歩いて行くではないですか。
急いで駅員さんに聞いて、正しい方向へ行く電車が出発するホームへ移動した私たち。早足で移動するときにちらりと見た感じでは、警官たちはこの状況には慣れっこのようで、談笑しながら警備しているようでした。しかも、ある警官は友人Aが通り過ぎようとしたとき、「飴あるけど、どう?」とにこにこしながらロリ—ポップのようなものを差し出してからかってきました。仕事しろよ、おい。突然の警官の行動にびっくりして立ち止まってしまったAを、友人Vが「気にしないで!」と後ろから押してました。
こうして無事宿に帰ってきたのですが、夜インターネットで結果を見たところ、延長になっても0対0で、PK戦により5対4でバイエルン・ミュンヘンが勝ったとのことでした。街中に出なくて正解だったかもしれません。友人Vは、「ドルトムントのPK外しちゃった人、生きて帰れるといいね」とつぶやきました。

3.6.16

イギリス国外でBRPをなくしたらすぐにやること

先月末、20日から約一週間の予定で友人3人とベルリン、ドレスデン、プラハに行ってきましたが、初日に電車の中で財布をすられてしまいました。
思い出すのも腹立たしいのですが実に巧妙で悪質な手口でやられまして、我々4人のベルリンに対する期待度が一気に下がりました。それはもう見事なまでに。
その経緯はさておき、財布の中には大事なものがたくさん入ってるわけです。デビッドカードやクレジットカードの利用を止めるのはもちろんですが、私の場合、中にBRPカードを入れていたのが致命的でした。
Biometric Residence Permits、略してBRPカードとは、指紋認証(もちろん両手指10本すべて)を含む滞在許可証のことで、去年からはイギリス滞在が6ヶ月以上になる非EEA国籍を持つ人は、必ず申請しなければならなくなりました。イギリスに入国するときに必要なもので、これが無いと入れません。入国管理のときにこのカードを見せないと、出発地に送り返されてしまいます。たとえイギリスに家があろうと、大学の在学証明があろうと、BRPなくしては戻れないのです。
なので、旅行から帰る前に、このカード取得を申請しないといけません。イギリス国外でBRPをなくしてしまい、「現地のイギリスか日本の大使館に行けば何とかなるだろう」と思っている、そこのあなた。そう簡単には行きませんぞ。イギリス大使館と日本大使館は、BRPについては何もしてくれません。日本大使館は「それはイギリス大使館に聞いて下さい」というだけですし、イギリス大使館は「ビザのウェブサイトに行って、そこから申請してください」と答えるだけです。大使館とビザ発行業務は、イギリスの場合、別の組織のようです。
ところで、申請する前に、まず現地の警察に行って盗難届を出してもらって下さい。できるだけその日のうちに。英語で書類を出してくれるところはまず無いでしょうが、BRP申請時に必要となります。およそ親切・フレンドリーとはかけ離れたベルリン警察でしたが(これもベルリンの印象をさらに悪化させるのに役立ちました。まあ警察とはどこの国にいっても大抵こんなものかもしれない。英語でやりとりできるだけまだましと思いましょう)、盗難届を出してくれました。

では申請ですが、ここで注意したいことがあります。それは、今回申請するのは、replacement BRP visaというもので、これはBRPとは別物だということ。名前が似ているのでややこしいのですが、もしイギリス国外でなくした場合、まずはこの代用ビザを取得してイギリスに戻り、その後本式のBRPを申請する、という手順になります。このビザは発行から一ヶ月間だけ有効、その間にイギリスに一度だけ入れるというものです。なので、ビザをもらったらすぐ帰りましょう。本式BRPの申請も、結構時間がかかりますので。

では申請。UKVIのホームページから、BRPをなくしたことを届け出ます。すると、設定したメールアドレス宛にメールが届くので、そこにあるリンクから申請のページにとびます。アカウントを作ってから実際に申請作業が始まります(この作業をすると、向こうから紛失・盗難の旨を承知したことと、「1,2日で次の手順について説明するメールを返信します」というようなメールが来るのですが、向こうからの返信など待たずにすぐに申請作業を始めて下さい。結局、「ビザ申請ページに登録して申請を開始して下さい」という案内が来るだけです)。
この作業、初めてBRPを申請したときと同じくらい面倒くさいです。基本的な個人情報に始まり、過去10年の渡航歴、一緒に旅行している友人たちの氏名と生年月日等、全部で90項目以上あります。
この項目に全部答えると、顔写真と指紋を採るビザセンターの場所と日時を選びます。私の場合、ベルリンに一人残るか、友人たちと当初の予定通り行動してプラハで受け取るかのどちらかで迷いました。が、現金はすべて取られはしなかった(宿に置いていた鞄に100ユーロを残してあり、取られたのは70ユーロくらい)けれど、カードはすべて止めたのでお金の心配があり、後者を選択しました。ちょうどプラハに到着する日にビザセンターの予約枠が空いていたのは幸運としかいいようがありません。
すべて記入しおわったら、申請料金を払います。これはロンドンにいた旦那に頼みました。
また、この後TLScontactへの登録を勧められますが、これはぜひしておきましょう。というのは、このサービスの中にpriority visaというものがあり、普通のビザよりも優先して早く申請作業をしてくれるサービスを受け付けているからです。事例により異なりますが、5,6営業日でビザが届きます。私の場合は6日で届きました。もちろん有料で、結構な額を取られますが、このサービスがないと数週間(あるいはもっと)かかります。

次に、申請書類、ビザセンター予約確認の書類、身元証明の書類(supporting documents)、支払い証明書(メールでよい)、プライオリティー・ビザの申し込み確認書(これもメール)をすべて印刷します。必要そうなものはすべて持って行きましょう(警察の証明書も。事前にコピーはとって手元に残しておきましょう。私の場合、パスポート返送時に盗難証明書を返してくれました)。できれば2部ずつあるとよいかもしれません。
身元証明の書類は人によってその内容が異なりますが、私の場合は配偶者ビザなので、旦那の身元証明書も必要になります。内容は、一番最初に申請したときの書類とほぼ同じです。これは旦那がデータを一式保管していたので事なきを得ました。持っていたBRPの画像データも、以前パソコンに取り込んであったので助かりました(これがあるのとないのでは申請の進み具合に差が出るらしい)。
ベルリンにいるうちにすべてを印刷し、そこからようやく旅行を楽しむ余裕が少し出てきました。友人が連絡を取ってくれたシンガポール人の学生は、「ビザはちゃんと発行されるから安心して。準備ができたら旅行を楽しんで!」と言っていました。

さて3日後、ドレスデンから列車でプラハへ出発。私と友人Aが先に出発しました。到着してビザセンターの場所を調べた後、昼食をとり、私はビザセンターへ向かい、その間Aは観光することに。
プラハのビザセンターへ行って驚いたのは、その緩さでした。日本で申請したときは、ビザセンターに入る前にまず警備員に荷物の中身を見せ、金属探知機などで身体チェックをしたのですが、それがまったくありませんでした。待合室でも、申請に来ている人は自由に携帯をいじって暇つぶし中。
自分の順番が回ってきて受付に行くと、持ってきた書類をすべて担当者に見せ、別室に入るまで待つように言われます。このとき、パスポートと書類を返送する住所を書くように言われたのですが、ここで「あれ?」と思ったことが。
ビザホームページから申請するとき、受け取りを「ビザセンターに行って受け取る」を選択したはずなのに、なんで住所を書かないと行けないのか?と思ったのです(ビザ申請時にはパスポートをビザセンターに預けます。発行されたビザは、パスポートに貼られて返ってくるので、その受け取り先を書くようにということです)。不思議に思いながらも、旦那が取ってくれたホテルの名前と住所を書きました(この時点で、友人たちを見送る日に旦那がプラハに来てくれることになっていた)。
そして書類を持ったまま別室に案内され、顔写真と指紋を採って作業終了。受付に戻って先ほど思ったことを質問してみたところ、返ってきたのは次のような応え。
私:「申請するときに、ビザセンターで受け取ることを選んだはずなんですけど」
担当者:「ああ、ごめんなさい、ここではできないんです。見ての通り小さい役所だから私たちは書類とデータを受け取るだけで、これからワルシャワのイギリス大使館に送って発行してもらいます」
私:「ワ、ワルシャワっ!?」
担当者:「ホームページは全地域カバーできるように作られてるからそういう選択肢があったかもしれないけれども、ここはそうではなくて・・・でも大丈夫、発行されたビザはワルシャワからちゃんとその住所に送るから、安心してね。滞在先がホテルでもまったく問題ないわよ」
担当者は私を安心させるためか、にっこりしながら説明してくれましたが、これを聞いて逆に不安度が急上昇した私。そりゃお隣の国ですけど、本当に大丈夫なのか・・・でも考えてみれば、日本で申請に出した書類は、その後フィリピンに送られてビザはマニラから発行されましたから、それと同じようなものです。
ここですべての書類とパスポートを渡し、「無事発行されますように」と祈ってビザセンターを後にしたのでした。

その3日後、プラハ空港でロンドンに帰る友人たちを見送り、その数時間後に旦那と合流、その晩は空港近くのホテルに泊まって翌日市内のホテルへ移動、その4日後に無事ホテルにビザが貼られたパスポートが届きました(業者はDHLでした)。発行までに6日営業日+土日で、およそ一週間ほどかかったことになります。申請の進み具合は、UKVIの自分のアカウントから確認できますし、TLScontactからは、自分のメールアドレス宛に、書類受理やパスポート発送のお知らせが届くようになっています。DHLからも発送した旨のメールが来るので、そこに記載された番号で追跡できます。私の場合、UKVIから書類受理のメールが来るまでがやや時間がかかりましたが(土日含めて6日)、次の日には発送のメールが届き、そのさらに翌日にビザ付パスポートを手にしました。朝に届いたのですぐに飛行機を予約し、夕方の便でロンドンに帰ってきたという次第です。
到着したスタンステッド空港で私たちを迎えたのは、濃い霧が立ちこめる空の下で強風にはためくユニオン・ジャックという、これぞイギリスという風景でした。気温15度というとても6月とは思えない寒さででしたが、この光景とそれがもたらしてくれた安堵感は一生忘れないでしょう。

ビザは、きちんと手順を踏んで申請すれば必ず発行されるので、焦らず申請しましょう。これからイギリスに長期滞在するという人は、BRPを初回申請したときに提出した書類やパスポート、またBRPが届いたらその両面のコピーのデータを一式クラウドにあげておくとよいかもしれません。インターネットに接続さえできれば、いざというときにそれらを印刷してサポーティングドキュメントとして提出できます。学生であれば、入学時にもらえる在籍証明書や学生証なども。また、公共料金の支払い証明書もあるといいかもしれません。
BRPをなくしたらこういうことになる、というのは、私を含め友人たちの誰一人として知りませんでした。プラハで韓国人の友人とメッセンジャーでやりとりをしていたときに今回のことを伝えたら、彼女は"Wow..."と絶句しました。
残念ながら、SOASのホームページには対処法が載っていませんでした。留学生が多い学校のはずなんですけどね。「これだからSOASのアドミニストレーションはクソなんだよ!!」と友人たちと愚痴を言い合いました。旦那が見つけてくれた、The University of Warwick のホームページが一番分かりやすいです。
http://www2.warwick.ac.uk/study/international/immigration/current/lostpassportandvisas/

ベルリンで財布を盗まれた日の夜、必要なものに登録・申請してお金を払った後、気づけば夜中の3時になってました。その間、あらゆるホームページを探しまくり、寮のルームメートやその他友人たちに連絡を取りまくって情報を集めてくれた友人たちと、ロンドンから調べて手続きしてくれた旦那には感謝してもしきれません。
これからBRPの再発行手続きです。イギリスが、いかに毎年ビザ取得を難しくしているかを再び思い知ることになります。

12.5.16

やかんの中は、たまには覗くべし

イギリスの水には石灰分が多く含まれているので、放っておくと石灰がこびりついてしまいます。「そろそろ洗わないとなあ」と思ってやかんを覗くと案の定、石灰だらけ(下の写真)。
これを落とす専用の薬と大量の水を入れて沸騰させ、湯を捨ててもう一度水を入れて沸騰させます。安全を期してもう一度湯を沸かして捨てると、

きれいになりました。いやあ手強い。
やかんはこれできれいになりますが、流しに使われているステンレスや、シャワー室のガラス壁(我が家にあるのは、人一人入る大きさの区画をガラス壁で囲ったシャワー室で、浴槽はない)の石灰分をどうしても落としきれません。水道水の性質上どうしようもないので、もうとっくにあきらめております。
やかんにたまった石灰を見るたび、「本当にこの水道水を飲んでいて大丈夫なんだろうか」という不安がちらっと脳裏をかすめますが、イギリス人はこれを飲んでいるというし、まあ大丈夫だろうと思うことにしています。
こんな水道水ではありますが、この水でいれた紅茶はとてもおいしいです。石灰掃除にかける労力を忘れさせてくれるぐらい。前回いつやかんを掃除したかなんて思い出せないほど久しぶりです。

10.5.16

イギリスで便利さを痛感したもの 2

先日書いた食洗機に引き続き、手入れの簡単さに驚いたのがいわゆるIHです。こちらではhobというんだそうです。
何が楽って、料理をしたら台ふきんでさっと拭けばいいだけということ。最初に使ったときはなんだか負けた気がしたものです。
私は今まで「料理はガス」と思うほどガス派でした。長野では山の斜面に住んでいたために、プロパンガスしか使えなくてガス代がべらぼうに高かったときも、その前後東京に住んでいて都市ガスにお世話になっていたときも、IHを使いたいだなんてつゆも思いませんでした。
ところが、こちらにきてIHを使ってみたら、とにかく掃除が簡単で手間が省けるのにショック。
肝心の料理の味ですが、日本にいたときと比べて、できばえが大きく変わったようには思わないので、自分の腕では味に変化が起きるほどのものではなさそうです。ただ、加熱される場所よりも底面が大きい鍋を使うと、中央と端で温度差が大きく開いてしまったり、鍋そのものが温まるまでに時間がかかったりするのが、面倒といえば面倒です。それから、チャーハンがぱらっとならないのが難点でしょうか。鍋と接する部分しか熱くならないので、中華鍋の側面があまり温まらないし、鍋を返しても空中で熱気を受けてほぐれる、ということがありません。
ちなみに、鉄瓶は直で使うことができます。日本茶を飲みたいときはよく使います。

8.5.16

お酢

午後、テムズ川南岸のマーケットをのぞきつつ、パブで一休み。Taylor Walker の 1730 というエールを飲みながらさつまいものフレンチフライを食べていたら、左にあったバスケットにこんなものが。フィッシュアンドチップスを食べる時にかけるお酢です。イラストを「これから食べられるというのに笑顔・・・」と思いつつ、後ろを見てみたら、

なんとミツカンのグループでした。びっくり。酸味と甘さがほどよく混ざっていておいしかったです。
本当はフレンチフライではなくてチップスとイギリスでは言うのですが、メニューが「フレンチフライ」となっていたのでそのままの表記です。両者の違いは「チップスの方が太くて、かつてはイモだったことが分かる」です(http://www.bbcamerica.com/anglophenia/2015/07/what-is-the-difference-between-french-fries-and-british-chips)。

6.5.16

TGIF

木曜日頃から仕事帰りにパブに寄る人が増えますが、金曜日の夜はピークを迎えます。今週のロンドンは暖かくなってきたこともあって、一杯やろうという人がさらに増えています。すでにお昼からパブの前でグラス片手におしゃべりに興じる人の群れが見えるという有様です。彼ら、午後仕事できるんだろうか・・・
夕方から夜にかけてさらに人が集まり、わいわいがやがや、それはもう賑わっておりますが、これはパブの外で立って飲んでいるからです。人によってはクリスプス(ポテトチップスのこと)なんかをつまみにしているけれども、大半は何も食べずに何パイントも立ち飲みしてます(1パイントは約568ml)。
酔いが回ってくれば当然愚行も増えるわけでして、夕方からあちこちでグラスが割れる音が。そのたびに「イェーイ!!」と雄叫びをあげております。「イェーイ!!」じゃないよ、まったく。
私たちも夕飯のあと、午後10時頃人が少なくなった頃を見計らってパブへ行ったはずでした。が、暖かいので人が少なくなる気配なし。地面には割れたグラスの破片が散乱し、地べたに座り込むお兄さんやお姉さんがおり、はたまた飲みかけのグラスがあちこち置きっ放しという感じです。
法律でパブは11時に閉まることになっています。閉店の15分前に大きなベルが鳴ったので「何だ?」と思いきや、あと15分で飲めるだけ飲もうと客が殺到、両手になみなみとビールをつがれたパイントグラスを持って急いで仲間のところへ戻っていきました。
家の周辺のパブは皆このような状況です。今これを書いている23:50現在も、外では雄叫びをあげている一団がいます。なんと平和な。
Thank God, it's Friday.

5.5.16

イギリスで便利さを痛感したもの 1

イギリスへ来てその恩恵を蒙っているものに、食洗機があります。入居した当初は「こんなに大量に水を使うなんてもったいないのではないか」と思い、手で食器を洗ってました。しかし、排水管が細くて頼りなげなのと、インターネットで見た、「手で食器を洗っていたら管が詰まった」という記事を考え、食洗機を使うことにしました。
大容量なので朝昼晩の洗い物を食事後に順次突っ込み、夜に一気に洗ってもらいます。そのまま朝まで放っておくと、洗った後の湯気で食器はほとんど乾き、そのまま戸棚へしまうことができます。
子育て中の親御さんが、「思い切って食洗機を買ってみましたが、本当によかった」と言う理由も納得。旦那曰く「計算したら3回手で食器を洗うよりもこっちの方が水を使わない」とのことなので、経済的なのでしょう。
何よりも、手洗いよりも格段にきれいになります。というのも、石灰水が多い水なので、普通に洗って乾かしただけでは石灰の白い跡が残ってしまうから。
文明の利器とはすごいものです。

2.5.16

The Lamb


今日は Early May Bank Holiday ということで休みでした。銀行が休みになるので企業も休み、学校も休みになるという、国民的祝日になっています。祝日はあっても休みにはならないイギリスでは貴重な三連休で、ロンドン各地のイベントを掲載した Time Out や各種新聞でもこのバンク・ホリデーの過ごし方特集を組んでます。
サマータイムのおかげもあって午後8時半までは明るいので、散歩がてら気になっていた The Lamb というパブに行って一杯飲んでから帰宅。

相づち

数日前、大学の図書館にて。
日本語を学んでいるらしい女の子と、その友人たち3人ほどがテーブルを囲んでおしゃべりに興じるのが聞こえてきました。
女の子:「日本人と話していると、ときどき『へえええ!』って言うんだけど、あれ何なのかしらね?みんな『へえええ!』って言うのよ」
英語だって、"Oh!" とか "Wow" って言うでしょ?それと同じだ、って言ってあげたかった。

29.4.16

同じ言語を話す者どうしが集いやすい

異国の地で異国の友人をたくさん作る、というのは理想ですが、お国の言葉で語り合える者同士が集う、または集いやすいというのがやはり現実ではないかと思います。
今日のお昼、食堂でご飯を食べていると、隣のテーブルにイタリア人が5人やってきて、席に着くなり喋り始めました。とにかく喋りまくる。どうも1つの話題について皆で話しているというよりは、対角線上に座っている者同士で話している模様。よくあれで集中できるなと感心しながら見ていました。
他にも、人数が多いというのもありますが、やはり中国語圏出身者は固まっているように見えます。友人は「中国人は団結してるのよ」と言ってましたが、別の友人は、「そんなことないよ?中国人はお互い無関心だけど、韓国人や日本人の方がよっぽど団結して見える」と言ってました。まあ、どちらも本当でしょう。
友人になるにはそれ相応に意思疎通できないといけないし、それには外国語がどれほどできるか、というのが関わってきます。しかし、それは母国語と同程度にできるかとなると、できる人もいるのでしょうが、なかなか難しいのではないかと思います。なので同じ言語を話す者同士が集いやすくなるのでしょう。

28.4.16

飴を何という?

イギリス英語では、飴は candy ではありません。
近所の酒屋さんに行ったときのこと。喉の調子がよくなかったので飴を買おうと思い、店員さんに「キャンディーあります?」と聞くと、「ん?チョコレートのこと?」と返されました。
それで、さっそく今日の英語の授業で先生に質問してみたわけです。
私:「喉が痛いときに口の中でなめて食べる、これぐらいの(手で大きさを示す)ものってなんて言うんですか?キャンディーだと通じなかったんですけど」
先生:「ああ、それは sweets っていうのよ。もっと正確に言いたかったら、boiled sweets ね。砂糖を溶かして作るから。喉が痛いの?だったら Lockets がよく効くわよ!」
帰りがけに通りで万屋食料品店(とでもいうんでしょうか、小さいけれどもとにかく色々売っている)に寄り、その Lockets の蜂蜜レモン味を買いました。たしかにこれは効きます。隣に Extra Strong なるものも売っていたけれども、効き過ぎるんじゃないかと恐ろしい・・・

27.4.16

空気の悪さ

外出して帰ってくると(特に晴れている日)、頭が重くなるような感じがすることがあり、「花粉症か?」と思っていたのですが、とある広告をフェイスブックで見て仰天しました。
ロンドンでは毎年かなり多くの人が大気汚染が原因で亡くなっているんだとか。その広告は9,500人と言ってました(が本当かな・・・)。
頭が重くなる感じがするのも、だんだん暖かくなってきて悪い空気が蔓延しやすくなっているんでしょう。
地上よりも環境が悪いのが地下鉄でしょうか。いつもトンネル付近は曇って見えます。

26.4.16

ロンドンの都市景観を決めたもの

ロンドンは古い建物と新しい建物が混在(というかごっちゃり)しているのが面白いです。レンガ造りの家の側にがっちりした石造りの建物があり、その隣にガラス張りの建物がある、といった光景によく出くわします。
昨年の年末に行ったウィーンが、それとはかけ離れた美意識をどーんと体現しているのと好対照です。なんせ道が広い。片側の車線だけで2車線を確保し、歩道も団体旅行客が歩くのに申し分ない広さ。それに加えて、建物の様式と大きさ・高さが揃っているように見えました(ただしその様式名は分からず)。そしてほぼすべて石造り。あまりにざっくりな感想ですが、さすが元オーストリア・ハプスブルク帝国の首都にふさわしい、これぞ「帝都」といったような感じでした。
対するロンドン、道はくねくねしているし、直線で構成された碁盤目上の通りなどほとんど無いのではないでしょうか。行き止まりの道も結構多いし、幅はたいてい狭いです。狭いからこそ、あの赤い2階建てバスがあるのでしょう。「よくこんな狭いところを」と思う角をすいすい曲がるハンドルさばきは見物です。

ロンドンは1666年の大火で大きな被害を蒙ったあと、市再建計画が持ち上がり、当時の建築家がバロック様式の、線対称に整備された通りを持つ計画を提出したらしいのですが、結局実現には至らず、昔ながらの通りを生かして再建されたとのこと。人手が足りなくてとてもそんな大それた計画を実行している場合ではなかったらしい。

ロンドンの都市景観で次に重要なのは、第二次大戦中のドイツ空軍による爆撃でしょうか。今月20日に第二次大戦期のものと思われる不発弾が見つかり、近くのヴィクトリア・パークにいた人を避難させたあと、警察が爆発処理を行っていました。22日にも、ロンドンの東南部でもう一つ見つかったようです。
そのニュースをフェイスブックで登録していたBBCのニュースで知ったわけですが、コメント欄には、「あのナチスめ!」というものも結構ありました。
そして何という巡り合わせか、明日の歴史セミナーではイギリスと日本の空襲がテーマでして、都市住民が空襲をどのように捉えていたか、イギリスと日本の比較をするんだそうです。主催者としては前もって準備していたんでしょうけど、実際に不発弾の発見が続いているときにというのが不思議な縁を感じさせます。
'The Muses of War: Terror, Anger, and Faith during the Bombing of British and Japanese Cities, 1940-1945' 
Dr Aaron Moore
戦後はまだ続く。というわけで、明日セミナーに行ってきます。

25.4.16

シティの東側を散歩する

金曜日にやっとこさ学期末のエッセイを提出し、ここ二日間は完全に休みモードとなりました。
家でだらだらしてるのももったいないしと、ここ二日間はロンドンの東西でやっているマーケットに行ってみた次第です。昨日はポートベッロ・ロード・マーケット (Portobello Road Market) という骨董市、今日はスピタルフィールズ・マーケット (Spitalfields Market) とブリック・レーン・マーケット (Brick Lane Market) へ行ってきました。数日家にこもりっきりだったので散歩がてら出かけたわけです。
まずはとにかく東へ。写真上のセント・ポール大聖堂を過ぎて北上、グレシャム通りを東へ行くと、広場に出ました。

上の写真はその広場にあるギルドホール (Guildhall) 。建物がひしめくシティ界隈にあって、予想外に広々していて驚きました。市の管轄の建物で、要人のパーティーや集会、宴会などを行う場所のようです。多くは15世紀に建設(12世紀の部分もある)、ロンドン大火(1666)で被害を受けつつも再建、今に至るとか。確かに、建物の入口と主要部で様式が違いますね。建築材もですが。
広場を挟んで向かい側に、ギルドホール・アートギャラリーがあります。今度来ないとと思いつつ、後にしました。

さてマーケットですが、スピタルフィールズ・マーケットとブリック・レーン・マーケット、店舗数もさることながら人でごった返していて、写真は撮れずじまい。というよりも、自分もお店を見て回るのに夢中ですっかり撮影を忘れていました。
昨日行ったポートベッロ・マーケットは超ド級のアンティークを扱う市場ですが(これについては後日)、こちらはもっと身近な古着やアクセサリーなどが主でした。食べ物を売る屋台も数え切れないほど並んでいて、遅いランチを食べようとお客さんが長い列を作っていました。
本当はこの先にあるフラワーマーケットに行きたかったのですが、あまりに寒い(今日は日中でも10度もなかった)ので断念し、引き返してきました。帰る前に通りを一枚。奥に見えるのはガーキン。

そしてまたセント・ポール大聖堂へ。ちょうど3時になるところで、鐘が鳴り響いてました。

古い建物と新しい建物が混在しているのを見ながら散歩するのは楽しいのですが、もう少し暖かくならないものか・・・あと建築の様式が分かるともっと面白いのに、と思いました。昔授業で何かやったような気もするのですが、まったく思い出せません。

17.4.16

なまものは強い

これは去年の11月頃でしたが、ロンドンで開催されていたハイパー・ジャパン・クリスマスマーケットに行こうかどうしようか、迷っていたときのこと。
日本食のお店が出ているようだったので、「どうする?」と旦那に聞いたところ、「行こう!」と即決でした。
当日。会場が近づくにつれ、増えてくるコスプレの人々にやや気圧されながらも会場到着。予想はしてましたが、多いですね。それにしても、コスプレって何か特定のアニメ・漫画キャラクターの恰好をすることだと漠然と思ってたのですが、そうでなくてもいいんですね。「あれは何のキャラクターだろう?」と思う方が多かったです。自分がアニメをほとんど知らないから見ても分からないだけかもしれませんが。
肝心の日本食は、お寿司や海鮮丼を出しているお店があったのでそこにしました。旦那はまぐろ丼を注文(自分が食べたものはど忘れしました。何だっけ・・・)。そこで感想を聞いてみることに。
私:「どう?おいしい?」
旦那:「うん。ほんとおいしい。涙出そう」
それは大げさじゃない?と思ったのですが、後から聞いたら本当に涙が出そうだったようで、ロンドンに来て2ヶ月、食にまだ慣れてなくて大変だったんだなあと、そこで気づきました。
お祭りでは日本の雑貨やらゲームやら漫画やら、色々なお店が出てはいましたが、ヴァーチャルの世界に浸ってゲームにのめり込んでいる人たちを見ていると、少し退廃的なものを感じました。出展者の中には陶磁器を売っているお店もあって、結構いい備前焼の器が売られていたりするんですけれど、手に取って見ている人は少なかったです。そして値段も張るので、さらに手が出ない。

そこは午前中で切り上げて、午後は Hunterian Museum へ行ってきました。「くまのプーさん」のモデルになった熊の頭蓋骨が展示されるからで、プーさん好きの旦那が「行きたい!」と言ったからです。
「いいよー」と上の空で返事をした私は、当日までに特に博物館のことを調べもせず行ったわけです。しかし、これがまたすごい博物館でして・・・
この博物館、 Royal College of Surgeons に属してます。つまり外科医師のための博物館で、もともと、ジョン・ハンターという解剖学者が集めたものがコレクションのもとになっています。なので、様々な動物(もちろん人間も)の標本・ホルマリン漬けの瓶が、棚の上から下までびっしり並んでるわけです(グーグルの画像検索をすると出てきます)。部屋に一歩入った瞬間、「うっ」と思いました。展示室を歩いていると、だんだん標本から出てくる何かにあてられそうな気がしたので、絵が飾ってある部屋に行ってみたわけですが、こちらも何らかの疾患を抱えた人の絵が所狭しと並んでました。
上の階の展示室は整形外科手術の歴史(戦争で負傷した兵士の顔を手術するところから始まったらしい)や、外科手術道具や、手術の技術発達について解説してました。

いってみれば、午前はまやかしの世界、午後はなまものの世界という強烈な対比を1日で見てきたわけですが、なまものは強いですね。生きていたもの、というか生きていたはずのもの、というのがそう思わせるのか。
ちなみに、プーさんのモデルになった熊の頭蓋骨は、1階展示室の隅にひっそりと展示されていました。動物園にやってくるお客さんがかわいさあまりに餌をあげていたのがあだとなり、虫歯になってしまったんだそうです。動物園と人間の関係について考えさせられました。

12.4.16

肖像画から考える「枠」

ナショナル・ポートレート・ギャラリーで "Russia and the Arts: The Age of Tolstoy and Tchaikovsky" を開催中です。ロシアのトレチャコフ美術館から19世紀の肖像画がおよそ20点貸し出されています。
数年前見た「忘れ得ぬロシア」展以来、ロシア18・19世紀の絵画は結構好きで展示が近くであれば見に行ってました。光に対する鋭敏な感覚(北に住んだ経験のある人なら多分納得してくれると思う)とそれに支えられた色彩感覚、精緻な質感描写に驚いたからです。
残念なことに、19世紀のロシア文学や音楽はとても有名なのに、絵画は日本での認知がまだ薄いように感じます。学生のときに西洋美術史の授業を取ったことはありましたが、ロシアってなかなか紹介されない。20世紀のアヴァンギャルドが取り上げられるぐらいでしょうか。
ちなみに、今回の展覧会の副題は「トルストイとチャイコフスキーの時代」。今BBCでトルストイの『戦争と平和』の実写版ドラマをやっているからではないかと推察します。それにしても、つい数年前にキーラ・ナイトレイ主演で『アンナ・カレーニナ』の映画がありましたし、イギリスってロシア文学好きだなあと今回改めて思いました。

この展覧会、展示数はさほど多くはありませんが、その分じっくり見ることができます。何よりも解説が素晴らしく、見るポイント、画家と被写体となった人物との関係、そして人物の人となりを簡潔に、そして格調高い文章で綴っています。「こういう表現があるのか」と新鮮でした。
いつも美術館や博物館で西洋絵画や彫刻を見ていると、この技法や表現は西洋人の顔と身体を表すための技法であって、決して東洋人向けではない、ということを突きつけられるような気もします。よく西洋美術で「写実」または「リアリズム」ということが言われますが、同じ画家が当時東洋人を見たとして、その通りに描けたのだろうかと想像することがあります。というのも、これはもう亡くなった画家(出身は忘れましたがヨーロッパ出身だったとうっすら記憶)が日本人を描いた絵を見たときに、西洋人が日本人を描く時によく描く、典型的なつり目だったからです。モデル本人はぱっちり二重なんですけど(写真が偶然あった)。
つまり、西洋美術の写実ってあくまで西洋人のための写実であって、その枠の外にあるものは対象外らしい。だからモデルが前にいても、枠の外のものはよくある常套手段で済ませちゃうんだろうなと考えた次第です。もちろん、そうじゃない画家もいるのでしょうけれど。
でも枠の外にあるものに対応するのってどの時代・場所でも大変ですよね。

10.4.16

バッハを聴きに行く

昨日、バービカン・センターでバッハ・コレギウム・ジャパン・レジデンシーの演奏会を聴きに行きました。
バービカン・センターに行くのはこれが初めてで、そのそっけないコンクリート造りの外観が味気ないなあと当初は思っていたのですが、中に入って驚きました。コンサートホールや美術館、映画館など(他にもまだある)多種多様なホールを持つ一大総合芸術施設とでもいうべきものでした。
写真はコンサートホールでの一コマ。演奏前、チェンバロの調整をしているところです。

ときどき、音がこちらへ飛んでこないような感じがしましたが、ホールが大きいというのがその原因でしょうか。ロンドン・フィルハーモニーがそっくり入るんだそうです。
ただ、高い技術を持つ個人が集い、アンサンブルを本当に楽しんでいるということはよく伝わってきました。パートごとの音色、全体の音色ともに素晴らしかったです。近くで聞きたかったなあ。

8.4.16

ファンタジーとは?

今年は『不思議の国のアリス』が出版されて150年とのことで、今、大英図書館では特集展示をしています。
図書館の入口を入るとアリスに関連したものを売るショップがあります(上の写真)。二人のアリスがお出迎え。ちょっとぎょっとします。特に頸が長い方。
展示は中2階、無料で誰でも入ることができます。至る所にアリス本の挿絵(色々な版のものあり)とともに展示品が並べられ、なかなか楽しめます。
実は、私はアリスを最初から最後まで読んだことはありません。ファンタジーに興味が無かったからです(すれた子供だったなあ)。ハリー・ポッターシリーズも、1冊目だけ読んであとはまったく読んでないです。せっかくだから展示が終わる前に読んで、また見に行きたいのですが、果たして時間があるかどうか・・・
それにしてもファンタジーって何でしょう?フィクションとはどう違うんでしょうか?
ファンタジーと呼べるかどうかは分かりませんが、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』が好きです。どこを読んでも「ええっ!?」と思う展開に一瞬わけがわからなくなるうえに、登場人物が多く、かつ名前が長いので(失礼)覚えづらく、読み終わるまでに相当時間がかかりましたが、20世紀初頭のロシアで起こる、はちゃめちゃで奇想天外な物語が文句なく面白いです。どうやったらあのストーリーを構築していけるんでしょう?もちろん、面白さだけではなくて社会批判的な意味もあるでしょうし、なんせキリスト教がテーマの1つなので、事情に疎い私にとっては意味がよく分からないところもあります。が、もしロシア語が読めたらこれは原語で読んでみたいと思う作品です。

6.4.16

とある通りにて

日が長くなり(今は夏時間なので日本とは8時間差です)、花も咲いていて春を感じさせますが、風はまだ冷たい今日この頃。そしてやってくるのが、「晴れていると思ったらざーっと雨が降ってはまた止んで」の日々。折りたたみ傘は手放せません。

イギリス人はおしゃべり好きらしい

こちらへ来て驚いたことの1つ(といっていたらきりがなさそうだけれど)に、電話で話ながら歩いている人がとても多いことがあります。
中でも、イヤホンでハンズフリーにして話している人が特に多い。「向こうから独り言をしゃべっている人が近づいてくるぞ」と思っていたら、電話でお話し中でした。他にも、ベンチや地面、低い塀の上に座りながら電話している人もよく見かけます。泣きながらスマホ片手に歩いている女性を見たときは「ああ、修羅場だな」と思ったり。
ときどき、電波の接続が悪いのか、聞こえづらいのか、ハンズフリーのはずなのにスマホの音を拾う部分(口に近い部分)を、口に対して直角に向けている人がいます。その姿がまるでトーストを食べるかのようで、思わずくすりとしてしまいました。普通にスマホで話せばいいのに。

3.4.16

Kensington Gardens


アルバート公メモリアルのすぐ近くに桜の木を発見。とても天気がよかったので昨日旦那と散歩に出かけてきました。家族連れでピクニックに来ている人、芝生にごろんと横になって気持ちよさそうに寝ている人。春なんだなあと実感が沸いてきました。

2.4.16

化粧水はない 2

元来スキンケア用品や化粧品を選ぶのに苦労するたちですが、乾燥の厳しいこの季節、早く手を打たないとひどいことになるのは分かっていました。
インターネットで探していたところ、Neal's Yard Remedies を見つけ、「確か日本にもあったような」と思い、ものは試しにと使ってみることに。
コヴェント・ガーデン駅からほど近い、その名もニールズ・ヤードという通りにお店はありました(通りの名前がお店の名前になっているということを知りませんでした)。
店員さんに事情を説明すると、クリームよりは柔らかい、保湿用のものを紹介してくれました。そしてやはり、「トナーは肌荒れが相当ひどいときか、化粧を落としきるときに使う物」とのこと。
お勧めされたものを購入して早速使ってみると、確かに肌が潤う感じはしますが、乳液等を付けないと乾燥してくるのは仕方がないとみるべきか。
ところで、友人たちに聞いてみると、日本のスキンケア用品や化粧品は評価が高いです。でもこちらではなかなか買うことができないのがつらい、と皆こぼしておりました。何とかならんものなのか。

31.3.16

化粧水はない

日本を出る前に洗顔用品やら化粧品やら、絶対使うけれどもイギリスで自分に合うものを見つけるまでは長くかかるであろうものを大量に持ってきたわけですが、ここへ来てとうとう化粧水(美容液という方が正確か)の最後の1本を使い切りました。
そして当然のごとくそれを探すわけですが、こちらへ来て初めて知ったのは、化粧水というものはない、ということでした。
Boots (薬局のようなお店)で棚の隅々まで見たものの、どれが化粧水に相当するものなのかまったく見当が付かず、唯一それらしく見えたトナーについて店員さんに聞いてみると、「それは化粧を落とすもの」と言われました。
「洗顔の後につける、肌を保湿するものはどれですか?」とさらに聞いたところ、「それならこれですよ」と紹介されたのは、なんとクリームでした。
「化粧水等で肌を整えて、クリームでふたをする」に慣れていたこちらとしては驚きでしたが、仕方がないので購入して帰宅。ちなみに、Boots が自社開発した製品で、十数ポンドで買えます。
インターネットで調べてみると、やはり海外では化粧水というものはなく、トナーは化粧を落とす物で、洗顔後はクリームを塗る、というものらしいということが分かりました。
しかしこのクリーム、塗って数分すると肌はピキピキに乾き、潤ったという感じがまったくしない。そしてどうしてピンク色なんだろう?
というわけで、もう少しよいものを探そうと次に続く。

30.3.16

We are floating people.

土曜日、友人とお昼ご飯を食べていたときのこと。
「まだ将来の仕事のことは分からないけど、今できることを精一杯やればいいし、それが楽しければなおいい」という話をしてました。
人によっては10年先、20年先のことを計画して、その通りに進めるのでしょうが、「私たちはそうじゃない」ということでお互い一致。
そういう話をできる友人も卒業したら彼氏のいる香港に行ってしまう。というわけで、今は色んな人と会ったりご飯を食べたりしています。

27.3.16

中華街で買い物をする

先週友人に連れられて中華街へ出かけたのですが、そのスーパーで大根を売っているのを初めて知りました。
「ああっ、大根!」と思わず日本語で叫んだ私に向かって、げらげら笑いながら友人、「早く言ってくれたら教えたのに。持つべきは中国人の友人よ!」
中華街のスーパーは野菜、肉、魚介類の他にも麵やお菓子、調味料も充実していて、しかも値段は思っていたほど高くないです。
ということで昨日旦那と中華街の繰り出し、家付近のスーパーでは売っていない野菜と調味料を買い込みました。
まず大根。ジャパンセンター(日本食品を売っているお店)の大根と比べたら、同じ値段なのに質、量ともに圧倒的によい。中国語では「白萝卜 (bai luo bo)」。そして蓮根(これは中国語でもこのままだった)。他にも、友人お勧めのオイスターソース「李錦記」を買って帰宅。旦那は別のスーパーの入口で見た大量のもやしを買って帰ろうか迷っていましたが、売り物かどうか分からなかったので今回は買わないことに。
日本食材店は結構高いので、中華街で安く買えるのを知ってとても得した気分になりました。

25.3.16

SOASの図書館問題

先々週でしたか、SOASの図書館の予算が大幅に削られて開館時間が短くなる、という情報が学生連合から回ってきました。
総額7千万ポンドの削減、結果平日は9時から夜の7時まで、土日は5時まで、長期休暇のときは閉まる日がかなり増える、といった無茶な内容で、学生連合が速攻で署名活動を開始。
「さすがに夜7時まではあり得ない」と思った私も署名してきました。
数日後、図書館を管轄している主任から「開館時間が短くなるという印象を与えてしまい申し訳ない」「そんなことはしないのでどうか安心してほしい」というメールが送られてきて、無事回避されたのでした。
とはいえ図書館の現状に不満を持っている人は多い。探している本が見つからないということはしょっちゅうあるし(友人は「自分だけが分かる場所に隠しておいて、本を独占してる奴が絶対にいるんだ!」と言い張る)、他大学から借りるときに料金が発生するし(「アメリカの大学だったらこんなにとらないぞ」)、たまに出くわす無愛想な図書館スタッフに心底がっかりするし、コピー機は本当に残念な感じだ(三分の一はまともに動いてなかったりする)。そして夜11時半までしか開いてない(他は24時間空いていたりする)。況んやねずみをや。
しかし現状の権利を守るためにも、ときには戦うことも必要なんである。楽じゃないけれど。

米大統領選もネタに

この前 The Jonathan Ross Show を見ていたら、「カンフー・パンダ」の新作の紹介も兼ねて主人公役の声を担当しているジャック・ブラックが出演していました。
ジョナサン:「新作では悪役は誰なんです?」
ジャック:「ドナルド・トランプですよ。頑張れ、ヒラリー!! Yes!!」
このやりとりに会場では笑いと大きな拍手が起こる。
お見事。

この日の他の出演者は、リチャード・ギア、ロイシン・コナティー(コメディアン)、そしてベリー・ゴーディー(Motown 創立者)だったのですが、リチャード・ギアはホームレスに扮して、撮影スタッフが街中での様子を隠し撮りして映画にする (題名を失念してしまいましたが多分 Time Out of Mind かと思われる)といった、今の時代を如実に反映するような映画の話しをしていましたし(ホームレスに扮して通りに座っていたら、買ったばかりの食べ物を恵んでくれた女性がいた。後ほどやっとのことで見つけ出したら、彼女は街の住人ではなくて旅行者だった)、ベリー・ゴーディーが創設した Motown はスティービー・ワンダーやジャクソン・ファイヴを輩出したレコード会社。この会社がマーティン・ルーサー・キング牧師の演説を録音して販売したこともこの日初めて知りました。
つまり、まるでアメリカの米大統領選を背景に選んだかのようなゲストだったわけです。おそらく意図的にそうしているんだろうなあと感じました。イギリスにとってもただ事ではないですものねえ。

23.3.16

アイラ島旅行 10 総括

ウィスキー好きならアイラ島にはぜひ行くべきです。
蒸留所巡りは1時間ほどで終わるものから、ピート掘りを体験できるものまであります。ほとんどの蒸留所では時間が許せば何杯でも飲めるので、ウィスキー好きなら最高でしょう。試飲のときに使用したグラスをそのまま持って帰れるところもあります。
グラスゴーから飛行機で行くほかにはフェリーという手もあります。ボウモア蒸留所で会った大学4年生の男性は、卒業旅行で一人でやってきたと言っていましたが、彼はフェリーを使ったそうです。日本人男性はどうも一人で行く傾向があるようで、ブナハーベン蒸留所の案内係のおじさんは、「日本人もよく来るけれど、男性が一人というのがほとんど」と言っていました。「なんで?」と理由を聞かれたのですが、こちらも何とも・・・
ちなみに、料理もおいしいです(もちろん良いレストランを選べば、ということですが)。The Harbour Inn や The Lochside Hotel というホテルのレストランがお勧めです。やはり島ともなると魚介が豊富なので、その出汁が効いたスープや新鮮かつ肉厚のスモークサーモンをウィスキーとともに楽しむことができます(知人にこれを言ったとき、「出汁が効いた、なんてロンドンでは久しぶりに聞きましたよ」と懐かしむような声で言っていました)。
お土産は、ウィスキーの他にもウィスキーを使ったハンドソープやクリームもありますし、蒸留所限定グッズもあります。ただし、ウィスキーを送るときはお店の人に確認した方がいいかもしれません。とある蒸留所(どこかは失念)でロンドンへ送ろうとしたら、「可燃物だから郵便ではできない」と言われたことがあります(ホテルだったかな?)。蒸留所のホームページから注文するには問題ないそうです。
5月頃には島全体でウィスキー祭を開催するそうで、そのときは島人口の3倍もの人が押し寄せ、ホテルの予約は難しいとのこと。そのときはまだ寒いのでしょうが、7月や8月はとてもよさそうです。海辺で一杯やりたいなあと思います。
ということで、また行かねば、と思ったのでした。でもスペイサイドやジュラ島にも行ってみたいなあ。

21.3.16

アイラ島旅行 9 ラガブーリン蒸留所 (Lagavulin) と帰れなかった話

さて、最後の蒸留所へ到着。アードベッグ蒸留所から歩いて20分ほどの所にあります。
空港まで行くバスがアードベッグ蒸留所のバス停にしか止まらないので、大きな荷物はアードベッグ蒸留所のショップに預けました。
実はアードベッグの試飲で次々と飲んでしまい(グラスは1つで、飲んだら次を入れていく方式だったのもあって)、かなり酔っ払ってしまった私。挙げ句待合室のソファーでぐーすか寝るはめになりました。見学と試飲はもちろんパス。旦那と友人に聞くところによると私好みのこくのある味だったそうで、無念。次に来る時は必ずここに来ようと決めたのでした。


蒸留所そばの桟橋から海を臨む。



さてアードベッグ蒸留所に戻ります。

羊のいる風景ともしばらくお別れです。


蒸留所が見えてきました。太陽の光に白壁が映えています。

バスがすでに来ていたので、私だけ先に乗ってチケットを購入。その間旦那と友人が蒸留所のショップに行って荷物を回収、おみやげもばっちり購入。茶色にアードベッグカラーであるオリーブグリーンと白のタータンが入ったハンチング帽を買ってもらいました(アイラ島のウールミルで作られたもの)。蒸留所ごとにそのカラーを使った羊毛製品があるので、ぜひ確認を。

いざ空港へ出発。

空港に着きました。

ここから行きと同じく飛行機でグラスゴーへ・・・と思いきや、機械の故障か何かで定刻よりも2時間ほど遅れて出発することになりました。当然、グラスゴーからロンドンへ飛ぶ飛行機には間に合わず、また電車も無いので、グラスゴーでもう1泊し、翌朝電車で(飛行機がなかったので)5時間ほどかけてロンドンに戻ってきました。
おいしいウィスキーをたらふく飲んだので、よしとする。




20.3.16

アイラ島旅行 8 アードベッグ蒸留所 (Ardbeg) と羊

さて、最終日の午前中はアードベッグ蒸留所へ。今回私が最も行きたかった蒸留所です。






岩場から水平線を臨む。曇り空だけれども波は穏やか。

岩の断面模様が面白かったので一枚。

工場見学中に写真を撮ってよいか聞き忘れてしまい、工場の中は一枚も撮らずじまい。面白いと思ったのは、大麦を粉砕する機械を蒸留所カラーのオリーブグリーンで塗っていたのと、蒸留する管に一カ所こぶのように下がっているところがあり、それがピート臭さを少し抜くこと。これによってラフロイグよりは柔らかい香りになるんだとか。
試飲は、10年寝かせたものから新しく販売しているものも含めて5種類でした。そのままで飲んでもおいしいですが、ピペットで水を数滴落とすとよりまろやかになり、香りもふわりと広がります。
ちなみに、工場見学では樽に詰めた瞬間のウィスキーを試飲できます。確かにアードベッグの片鱗をうかがわせるもののほぼ無色透明で、完成品とはまったく別物。これを何年も寝かせることで熟成されていくんですね。

蒸留所にはカフェが併設されているので、お昼をここで食べました。魚介の出汁が効いたおいしいチャウダーをいただく。


ドアもオリーブグリーン。日が差し込んできました。

次の蒸留所へ出発。途中、振り返ってアードベッグ蒸留所を撮影。羊がのんびり草を食んでいます。天気が回復してきて青空が覗きます。

羊って柵の中にいても結構警戒心が強いんですね。近づくとさっさと逃げてしまいました。札幌は羊ヶ丘公園の羊は相当に人慣れしている模様。


お、シャッターチャンス。

19.3.16

アイラ島旅行 7 森の中を散歩

カリラ蒸留所から帰る途中、島特産のウール用品店に寄ったのですが、やはり日曜日で休みでした。ということで近くの森を散歩することに。






黄色い鳥のいる風景