明日からもう9月。7,8月はとにかくめまぐるしく状況が動いたので自分も追いつけていないところがあります。
7月始め
旦那さんがマイナーリビジョンで博士号取得見込みになりました。素晴らしい。旦那さんの分野で4年で博士号取るのは難しいらしいから、その期間でできたなんてすごいと思う。そして旦那さんだけ帰国。
7月下旬−8月上旬
ドイツの大学主催の博士課程学生のためのワークショップに参加。最初の1週間は発表、ライティングセッション(教授1人につき学生2,3人の割合。贅沢!)が2回、その後10日ほどヨーロッパの美術館、博物館へ各自出かけて調査、またドイツに戻ってくるというもの。計3週間。行く前は不安だらけで「なんで応募して受かっちゃったんだろう」と思ったけれども、発表が思ったよりよい評価をいただけて安心。参加していた先生たちや学生とも意見交換できて刺激になる。今回は学外の発表で初めて何も見ずに(つまり原稿を読み上げずに)発表したら、これもお褒めの言葉をいただけて嬉しい。「やり続けていたら何とかなる」もそうだけれど、「やると決めないとできるようにならない」も真実だと思う。
他の学生さんとも仲良くなれてよかったし、悩んでいることはみんな大して変わらないというのも分かったのも収穫でした。
ヨーロッパ間の移動はスムーズでしたがドイチェバーンだけは別!これについては後日書きたいと思います。
1週間前
博論の草稿提出。ラストスパートの日が過去最高に暑いバンクホリデーだったようで、しんどかったです。
今は友人宅に移るための引越の準備と、必要な本をとにかく読むという毎日ですが、前者のことに時間と注意を割く方が多くなってきています。
31.8.19
2.6.19
イギリスで住むところを決めるときに最初から諦める方がよいかもしれないこと
1. 家は隙間だらけである。
2. 不動産会社は対応が遅いことがある、というよりたいてい遅い。結構いい加減。
この間浴室の天井から水が漏れていたことを書きましたが、これはその続きです。
昨日は金曜日の夜9時半過ぎ(!)、水道配管の業者さんがやって来ました。何でも、本当は昼間に来るはずが、夜9時半にならないと行けない、と旦那さんの携帯にかかってきたそうです。
やって来た業者さんと話をしていると、どうも私たちの部屋から下の部屋へ水漏れしたという間違った内容を不動産会社が送ったらしいということが分かりました。旦那さんはすぐさま水漏れの様子を撮ったビデオを見せ(証拠大事)、業者さんに確認してもらいました。「あいつら間違った情報を送ってきたのか!」とやれやれの表情。そりゃそうですよね。
ただ、水漏れが止まって数日後、上に住むご近所さんとばったり会ったときに、「前に雨が降って、それが浸みてきてるらしい」と言われたのが気になっていたので、「水漏れがあったのはこの1回だけだし、すぐに止まったから安心したけど、よくあるんですか?」と聞いたら、「イギリスの家なんてクソだよ。藁と木でできてるから」という大変正直な、でも業者が言ってはいけないでしょうということをにべもなく言い放っていました。いや、レンガもあるでしょ、と思ったのですが、あれ、これって3匹の子豚のような・・・?
業者さんは、さらに浴室を点検しながら、「天井の上はたいして何もないから、電気のソケットの隙間とか、天井と壁の接合部分の漆喰が剥がれていればそこから水が出てくるよ」と教えてくれました(以前、不動産会社経由で、大家さんがフラットの天井と壁の接合部分のひびを直したいから何週間かいない日を教えてくれと言っていた理由がこれでほぼ判明)。
今回の水漏れは1階にまで拡大していたようで、業者さんは私たちの下に住むご近所さん(この前トースターを焦がして火災報知器を鳴らした人)に話を聞きに行き、「こりゃ建物のマネジメントをする人に連絡しないとな」とぼやいていました。そして、
業者さん:「この水漏れっていつあったの?」
旦那さん:「2週間前です」
業者さん:「えっ!?じゃあ2週間前のことを、あいつらやっと昨日俺に送ってきたってことなのか。へぇーっ!(最後は "Niiiiiiice" ヌァーィスでした)」
私:「本当?」
業者さん:「不動産会社もクソだから」
私:「あ、そう・・・」
今私たちがやらないといけないことは特にないようで、そこは安心しました。私たちの意見が一致したのは、あの配管の業者さんはまじめだね、ということ。夜9時半に来るのもそうですが、対応もとてもよかったです。びっくりするくらい正直だったけど。
2. 不動産会社は対応が遅いことがある、というよりたいてい遅い。結構いい加減。
この間浴室の天井から水が漏れていたことを書きましたが、これはその続きです。
昨日は金曜日の夜9時半過ぎ(!)、水道配管の業者さんがやって来ました。何でも、本当は昼間に来るはずが、夜9時半にならないと行けない、と旦那さんの携帯にかかってきたそうです。
やって来た業者さんと話をしていると、どうも私たちの部屋から下の部屋へ水漏れしたという間違った内容を不動産会社が送ったらしいということが分かりました。旦那さんはすぐさま水漏れの様子を撮ったビデオを見せ(証拠大事)、業者さんに確認してもらいました。「あいつら間違った情報を送ってきたのか!」とやれやれの表情。そりゃそうですよね。
ただ、水漏れが止まって数日後、上に住むご近所さんとばったり会ったときに、「前に雨が降って、それが浸みてきてるらしい」と言われたのが気になっていたので、「水漏れがあったのはこの1回だけだし、すぐに止まったから安心したけど、よくあるんですか?」と聞いたら、「イギリスの家なんてクソだよ。藁と木でできてるから」という大変正直な、でも業者が言ってはいけないでしょうということをにべもなく言い放っていました。いや、レンガもあるでしょ、と思ったのですが、あれ、これって3匹の子豚のような・・・?
業者さんは、さらに浴室を点検しながら、「天井の上はたいして何もないから、電気のソケットの隙間とか、天井と壁の接合部分の漆喰が剥がれていればそこから水が出てくるよ」と教えてくれました(以前、不動産会社経由で、大家さんがフラットの天井と壁の接合部分のひびを直したいから何週間かいない日を教えてくれと言っていた理由がこれでほぼ判明)。
今回の水漏れは1階にまで拡大していたようで、業者さんは私たちの下に住むご近所さん(この前トースターを焦がして火災報知器を鳴らした人)に話を聞きに行き、「こりゃ建物のマネジメントをする人に連絡しないとな」とぼやいていました。そして、
業者さん:「この水漏れっていつあったの?」
旦那さん:「2週間前です」
業者さん:「えっ!?じゃあ2週間前のことを、あいつらやっと昨日俺に送ってきたってことなのか。へぇーっ!(最後は "Niiiiiiice" ヌァーィスでした)」
私:「本当?」
業者さん:「不動産会社もクソだから」
私:「あ、そう・・・」
今私たちがやらないといけないことは特にないようで、そこは安心しました。私たちの意見が一致したのは、あの配管の業者さんはまじめだね、ということ。夜9時半に来るのもそうですが、対応もとてもよかったです。びっくりするくらい正直だったけど。
28.5.19
仕事も家庭も、は可能か
昨日自分にとっても大事なことについて友人(女性)と話していました。それは「仕事も家庭も、は可能か」。
変わってきたとはいえまだ制約の多い出産後の仕事復帰は、程度の差はあれイギリスでも日本でも難しく、どちらも保育園等に通わせる金額は高額で、女性は復帰してもパートタイムで数年踏ん張らないといけない。イギリスの方がましのようなイメージだけれども、それもEUの一員でEU法に準じてきたからで、これが離脱すると、もともと資本家寄り、経営寄りの方針だからどうなるか分からないし、労働党は労働者の権利を守れと叫んでいるけれど、どこまでできるのか怪しいもんである。
冒頭の話に戻すと、友人のご両親は香港から渡ってきて働きに働いた人たちです。男の子を産んだあと、あまりに忙しすぎたので息子を自分の両親がいる香港へ戻した、つまり孫の面倒を祖父母に見てもらったのだそうです。2年経って息子さんがイギリスに帰ってきたら、何と妹(つまり友人)が産まれていて、両親は妹にかかりっきりという状態を目の当たりにする。友人曰く、「兄はショックだったみたいで、それから両親とも私とも距離を感じると言っている」と言っていました。
似たような話はうちの旦那さんもしていました。学会でとある論文のコメンテーターを務めたときのこと、その論文の著者はアメリカの大学院で博士課程に在籍中の中国人で、最近結婚したばかり。その彼と今後の進路について話していたとき、子供が産まれたらどうするかという話題になったそうで、その人は「中国にいる両親に見てもらうよ、そうすれば仕事に集中できるから」とさらりと言ったことにうちの旦那さんはとにかく驚いたと言っていました。奥さんも学者の卵で、夫婦でこう考えているようでした。もちろん色々な考え方があり、各家庭で話し合って納得して撰んだ方法ならそれでいいと思うし、尊重すべきで、自分がどうこう言う筋合いではありません。
ただ、中国にもまったく問題がないわけではないにしろ、これが発展を続ける社会の実情であり強みなのかもしれず、それと子育てで右往左往する日本の状況を比べると悲観したくもなっちゃうのですよね。もし産まれたら責任を持って育てるけど、あまりにも負担が大きすぎるように感じてしまうのが正直なところです。
はたしてどちらもは無理なのか。友人は「女性にとって人生は大変だけど、でも楽しいこともある。それに男性が楽をしているかと言われれば、そうとは限らない」と。確かに、女性の働き方だけではない。そして根本から変わらないともうもたないよね、という点では一致するけど、どう変わるとよいかでまた悩む、が最近のループなのでした。
変わってきたとはいえまだ制約の多い出産後の仕事復帰は、程度の差はあれイギリスでも日本でも難しく、どちらも保育園等に通わせる金額は高額で、女性は復帰してもパートタイムで数年踏ん張らないといけない。イギリスの方がましのようなイメージだけれども、それもEUの一員でEU法に準じてきたからで、これが離脱すると、もともと資本家寄り、経営寄りの方針だからどうなるか分からないし、労働党は労働者の権利を守れと叫んでいるけれど、どこまでできるのか怪しいもんである。
冒頭の話に戻すと、友人のご両親は香港から渡ってきて働きに働いた人たちです。男の子を産んだあと、あまりに忙しすぎたので息子を自分の両親がいる香港へ戻した、つまり孫の面倒を祖父母に見てもらったのだそうです。2年経って息子さんがイギリスに帰ってきたら、何と妹(つまり友人)が産まれていて、両親は妹にかかりっきりという状態を目の当たりにする。友人曰く、「兄はショックだったみたいで、それから両親とも私とも距離を感じると言っている」と言っていました。
似たような話はうちの旦那さんもしていました。学会でとある論文のコメンテーターを務めたときのこと、その論文の著者はアメリカの大学院で博士課程に在籍中の中国人で、最近結婚したばかり。その彼と今後の進路について話していたとき、子供が産まれたらどうするかという話題になったそうで、その人は「中国にいる両親に見てもらうよ、そうすれば仕事に集中できるから」とさらりと言ったことにうちの旦那さんはとにかく驚いたと言っていました。奥さんも学者の卵で、夫婦でこう考えているようでした。もちろん色々な考え方があり、各家庭で話し合って納得して撰んだ方法ならそれでいいと思うし、尊重すべきで、自分がどうこう言う筋合いではありません。
ただ、中国にもまったく問題がないわけではないにしろ、これが発展を続ける社会の実情であり強みなのかもしれず、それと子育てで右往左往する日本の状況を比べると悲観したくもなっちゃうのですよね。もし産まれたら責任を持って育てるけど、あまりにも負担が大きすぎるように感じてしまうのが正直なところです。
はたしてどちらもは無理なのか。友人は「女性にとって人生は大変だけど、でも楽しいこともある。それに男性が楽をしているかと言われれば、そうとは限らない」と。確かに、女性の働き方だけではない。そして根本から変わらないともうもたないよね、という点では一致するけど、どう変わるとよいかでまた悩む、が最近のループなのでした。
23.5.19
夜中の火災報知器から住宅問題に思いを巡らす
昨晩のこと、エッセイを読んでいたら夜中の12時を回ってしまい、「そろそろ寝ないと」と思っていたら、ほんのり焦げ臭い匂いとともに火災報知器がわんわん鳴り出しました。
「うち!?」と思っていたら旦那さんが「とにかく出よう」というので、慌ててコートを羽織って階段に出たら、下に住むご近所さんも出て来たところでした。どうも原因はこのご近所さんのようです。
3人で1階に降り、火災報知器を止めようとパネルをいじるもののまったく鳴り止まないので、旦那さんは説明書を探しに一度部屋へ戻り、ご近所さんはスマホで検索し始め、私はとにかくパネルのボタンをいじるなど3人であれこれ試すこと30分、お目当ての動画を見つけたご近所さんが止めてくれました。
何かあったんですかとそのご近所さんに聞いてみたら、トーストを焼いていたら焦がして煙が上がってしまったと。何もなかったし、ご本人もちゃんと謝ってくれたのでまあ笑ってよしとしました。こんな夜中にトーストかよ、と思いましたけど。
何せすきまだらけなので、その後も我々のフラットに漂う臭いはなかなか消えず、トーストの焦げ臭にくるまれて就寝。うむ、くさい。
こうなるとやっぱり思い出してしまうのです、2年前のグレンフェルタワーの火災を。炎と煙があっという間に広がってしまって、しかも非常階段がなかったから多くの人が降りられなくて亡くなってしまったあの事件。外装に燃えやすい素材を使ってたとか(でも国の検査には通っていたらしい)、内部も配管がきちんと覆われてないのに消防検査は通った(しかも火事の数日前)とか、計画も管理もずさんだったことが発覚したのでした。裕福な人が多く住む地域に建つ、それほど裕福ではない人のためのマンションだったこともあり、地域のトップも政府も貧しい人を見捨てているといった批判も噴出して、一気に格差問題を含む社会問題に発展、住宅供給に悩む都市の問題をあぶり出しました。
問題は火事だけではなくて、AirBnBの問題もあります。私たちの上に住んでいたご近所さんは、いつの間にかフラットをAirBnBに貸し出していたようで、入れ替わり立ち替わり、旅行客のような人たちが階段を上がっていくのを聞いていました。ニュースではAirBnBに貸し出されている物件があまりに多くて、市内で働いているのに市内では住む場所がなかなか見つからないとか、地域の関わり合いが変わってしまって困る、といった批判をよく聞いていたこともあり、「とうとうここにもやってきたか」と思っていたら、先週浴室の天井から水がぽたぽた垂れてきていて仰天しました。
上から降りてきた旅行客を旦那さんが捕まえて話を聞いたら、朝方にシャワーをみんなで使ったとのこと、さらに上のフラットに行ってオーナーに連絡してくれるよう頼みに行ったら、6人で旅行してきていて、朝方代わる代わるシャワーを浴びたそうでした。全般的にイギリスの配管の技術が劣っているのは承知してましたが、6人のシャワーで水漏れなんてあまりに軟弱すぎるのではないでしょうか。
幸いオーナーさんは(つまり昔のご近所さん)はすぐに対応してくれたので水漏れは止まりましたが、急に何かが起きたときに連絡がつくのか、責任はどうするのかなど、住宅問題は尽きることがありません。もうこういうことがないようにと願いつつ、自分も気を付けなければ、と思うのでした。
「うち!?」と思っていたら旦那さんが「とにかく出よう」というので、慌ててコートを羽織って階段に出たら、下に住むご近所さんも出て来たところでした。どうも原因はこのご近所さんのようです。
3人で1階に降り、火災報知器を止めようとパネルをいじるもののまったく鳴り止まないので、旦那さんは説明書を探しに一度部屋へ戻り、ご近所さんはスマホで検索し始め、私はとにかくパネルのボタンをいじるなど3人であれこれ試すこと30分、お目当ての動画を見つけたご近所さんが止めてくれました。
何かあったんですかとそのご近所さんに聞いてみたら、トーストを焼いていたら焦がして煙が上がってしまったと。何もなかったし、ご本人もちゃんと謝ってくれたのでまあ笑ってよしとしました。こんな夜中にトーストかよ、と思いましたけど。
何せすきまだらけなので、その後も我々のフラットに漂う臭いはなかなか消えず、トーストの焦げ臭にくるまれて就寝。うむ、くさい。
こうなるとやっぱり思い出してしまうのです、2年前のグレンフェルタワーの火災を。炎と煙があっという間に広がってしまって、しかも非常階段がなかったから多くの人が降りられなくて亡くなってしまったあの事件。外装に燃えやすい素材を使ってたとか(でも国の検査には通っていたらしい)、内部も配管がきちんと覆われてないのに消防検査は通った(しかも火事の数日前)とか、計画も管理もずさんだったことが発覚したのでした。裕福な人が多く住む地域に建つ、それほど裕福ではない人のためのマンションだったこともあり、地域のトップも政府も貧しい人を見捨てているといった批判も噴出して、一気に格差問題を含む社会問題に発展、住宅供給に悩む都市の問題をあぶり出しました。
問題は火事だけではなくて、AirBnBの問題もあります。私たちの上に住んでいたご近所さんは、いつの間にかフラットをAirBnBに貸し出していたようで、入れ替わり立ち替わり、旅行客のような人たちが階段を上がっていくのを聞いていました。ニュースではAirBnBに貸し出されている物件があまりに多くて、市内で働いているのに市内では住む場所がなかなか見つからないとか、地域の関わり合いが変わってしまって困る、といった批判をよく聞いていたこともあり、「とうとうここにもやってきたか」と思っていたら、先週浴室の天井から水がぽたぽた垂れてきていて仰天しました。
上から降りてきた旅行客を旦那さんが捕まえて話を聞いたら、朝方にシャワーをみんなで使ったとのこと、さらに上のフラットに行ってオーナーに連絡してくれるよう頼みに行ったら、6人で旅行してきていて、朝方代わる代わるシャワーを浴びたそうでした。全般的にイギリスの配管の技術が劣っているのは承知してましたが、6人のシャワーで水漏れなんてあまりに軟弱すぎるのではないでしょうか。
幸いオーナーさんは(つまり昔のご近所さん)はすぐに対応してくれたので水漏れは止まりましたが、急に何かが起きたときに連絡がつくのか、責任はどうするのかなど、住宅問題は尽きることがありません。もうこういうことがないようにと願いつつ、自分も気を付けなければ、と思うのでした。
9.3.19
Brexit用ウィンドウ
そろそろEU離脱の日も近いということで、SOAS近くの書店のウィンドウもこのようになっています。いかにもフェアをやっていますというこの明るい雰囲気、やっぱり商売だなあと思います。書店名 Waterstones の大きな頭文字に隠れて見えないけど、向かって左側の BREXIT の下は、出口 "Exit" と一緒に描かれている、走る人の形なのですね。 EUから脱出するイギリス、国旗をあしらっています。
この機会だからと立候補したのだから、あまりメイ首相を気の毒だとは思わないけど、これだけ意見が割れていたらまとめるのは大変でしょう。離脱が投票で決まったまではいいけれど、離脱の形には何通りもの選択肢があるわけで、それぞれ利権が絡んでややこしい。でもこのままだと話がイギリス議会でまとまるまで離脱できないという可能性もあって、それは離脱派にとっては許せない、残留派には好都合でもう一回国民投票を狙いたい・・・
以前、離脱が決まった直後に、こんな冗談を見かけました。
「夏に入ったからテレビのクールが終わっちゃって面白くない。何かいいのある?」
「BBCのニュースだよ!」
これからもお昼のBBCニュースは欠かせません。
6.3.19
昨日はパンケーキの日
パンケーキの日、又の名を懺悔火曜日 (Shrove Tuesday) は、 今日3月6日 (Ash Wednesday) からイースターまでは断食となるので、その前日に玉子や牛乳やバターなどを消費しておこうというものらしいです(つまりビーガンになるということですね)。今の時代、本当に断食する人はそれほどいないとは思いますが。
正直にいうと、祝祭日の日付が動く(イースターは春分の日の後の最初の満月を迎えて次の日曜日、そこから逆算して灰の水曜日を決める)のがどうしてもなじめなくて、いつも間際になってから「そういえば」と思い出すので、パンケーキの日も特に何もしてこなかったのです。が、今年くらいはということで、スコティッシュ・パンケーキなるものを焼いてみました。小麦粉に細かく切ったバターを入れて、手ですり混ぜてパン粉状にするのがスコーンの作り方と似ているのと、スプーン一杯分をすくって焼く大きさというのが特徴的・・・なのか?何はともあれ、おいしくできました。
昨年秋頃、ブランズウィックにFuwa Fuwa Pancake というお店ができてびっくりしました。日本ではやっているスフレタイプのパンケーキを出すお店らしいとのこと、「さぞや今日は混んでいるだろう」と思って昨日覗いてみようとしたら、何と閉店して改装中でした。"We are moving!" と出てましたが真相はいかに。
ガーディアン紙でも取り上げられたことのあるお店でしたが、料理が出てくるまでに20分以上かかるのが不満だったようです。でもさすがに昨日まではもたせないといけなかったでしょう。そのためにあるようなものだったわけですし。
ただ、今思い出せば、それほどお客さんが入っているわけでもなかったので、やはり異文化の食がその地域に馴染むのは難しいのかもしれません。パリに行くとお菓子屋さんや喫茶店のショーケースに、きらきらした、まるで宝石のようなお菓子(決して誇張ではありません)をよく見かけるけど、イギリスのお菓子は家庭で作るものが発展してお店でも売られているように思います。それはそれで味わいがあっていいのだけれども、パリのような洗練されたお菓子はロンドンではあまり見かけないかな。さすがにこれはドーバー海峡を越えないらしい。
昔、イギリス人の英語の先生に教わった名言(?)がこれ。
We do not live to eat, we eat to live.
イギリスも大分変わったとはいうけれども、根本はそれほど変わらないのかもしれません。
正直にいうと、祝祭日の日付が動く(イースターは春分の日の後の最初の満月を迎えて次の日曜日、そこから逆算して灰の水曜日を決める)のがどうしてもなじめなくて、いつも間際になってから「そういえば」と思い出すので、パンケーキの日も特に何もしてこなかったのです。が、今年くらいはということで、スコティッシュ・パンケーキなるものを焼いてみました。小麦粉に細かく切ったバターを入れて、手ですり混ぜてパン粉状にするのがスコーンの作り方と似ているのと、スプーン一杯分をすくって焼く大きさというのが特徴的・・・なのか?何はともあれ、おいしくできました。
昨年秋頃、ブランズウィックにFuwa Fuwa Pancake というお店ができてびっくりしました。日本ではやっているスフレタイプのパンケーキを出すお店らしいとのこと、「さぞや今日は混んでいるだろう」と思って昨日覗いてみようとしたら、何と閉店して改装中でした。"We are moving!" と出てましたが真相はいかに。
ガーディアン紙でも取り上げられたことのあるお店でしたが、料理が出てくるまでに20分以上かかるのが不満だったようです。でもさすがに昨日まではもたせないといけなかったでしょう。そのためにあるようなものだったわけですし。
ただ、今思い出せば、それほどお客さんが入っているわけでもなかったので、やはり異文化の食がその地域に馴染むのは難しいのかもしれません。パリに行くとお菓子屋さんや喫茶店のショーケースに、きらきらした、まるで宝石のようなお菓子(決して誇張ではありません)をよく見かけるけど、イギリスのお菓子は家庭で作るものが発展してお店でも売られているように思います。それはそれで味わいがあっていいのだけれども、パリのような洗練されたお菓子はロンドンではあまり見かけないかな。さすがにこれはドーバー海峡を越えないらしい。
昔、イギリス人の英語の先生に教わった名言(?)がこれ。
We do not live to eat, we eat to live.
イギリスも大分変わったとはいうけれども、根本はそれほど変わらないのかもしれません。
4.3.19
2月後半の山場
先週1章の半分ほどの草稿を指導教官へ送って、今はコメントを待ちつつ別の部分を書いています。大きな絵を先に描くか、小さい部分から積み上げていくか、人によってさまざまだと思いますが、私の場合はどちらかが絶対に先、ということはないようです。書いていくうちにどんどん変わるので、章や順番を問わず書けそうなところからとにかく書いて、あとで編集するつもりです。この編集が大変なんですけどね。どうして先にこれに気付かなかったのか、と思うようなことも書いているうちに気付くし、「こっちの方がいいかも!」と思うようなこともたくさん出てくる。そのときに、前に決めた方向を貫き通すよりも、いっそのこと変えてみる方がいいかもしれない。人によっては朝令暮改はいやだと言うかもしれないけど、そうは思わないです。
しかし!英語も直さないといけないし、課題は山積みです。
1月半ばはとにかくしんどいことが多かった時期でしたが、友人からもらったアマリリスを育てていたら見事な花が咲いたので、毎朝見るのが楽しみでした。昔、何かの小説で、何かを成し遂げないといけないときは、植物を育てるのがよい、というようなことを書いていたと思うのですが、確かにそうだなあと実感。おかげで2月は少し気楽に過ごせました。
今月後半にまた山があるのでしっかり準備しなければ。
25.2.19
2月前半の山場
2月前半はパリまで遠出をしてとある勉強会に出席、その後SOASで開かれた日本美術のワークショップがありました。
勉強会は内容がとても充実していて、朝から夕方までみっちり行われてもまったく苦にならないものでした。自分がやってきたことは間違っていなかったことも分かってさらに励みになりました。懐かしい人にも会えてよかったよかった。
日本美術のワークショップは、12歳から14歳ぐらいの生徒を迎えて1時間20分ほどの、短いワークショップでした。この時間でできるものとなると案外難しく、悩んだ末に紙を折って作る扇にしました。本当は棒と紙を使って作る折りたたみ式の扇子を作ろうと思ったのですが、自分でやってみたらあまりにも難しすぎて断念。これは高度な技が必要だということに初めて気付きました。中世に日本から中国への輸出品になったのも宜なるかな。何事もやってみるものですね。他に屏風や掛け軸からおもしろそうな画題を探してきて、意味などを解説した配布物も用意しました。
当日はとにかく元気な生徒さんが多くて圧倒されっぱなし。SOAS側の事務で中心になって動いてくれている係の人はもう慣れているようで、「みんなー!!説明するよー!!!」と大声で呼びかけてくれて何とか説明開始。簡単に作り方を説明したあと、「じゃあ作りましょう」というと、わーっと一斉に紙を折り始めました。それこそお椀をひっくり返したかのような勢いです。
ちなみに、説明のときは自分で事前に作ったものを使ったのですが、扇子の難しいところは、あまり小さく描いてしまうと、折りたたんだときに何を描いたのかよく分からなくなってしまうところです。一回目でそれを実感したので、次はもっと大きく描いたら何とかなりそうだったので、それも見せつつ各テーブルを回っていたら、「猪上手だね!」と生徒さんからお褒めの言葉をいただきました(私は猪に挑戦)。「君も上手だよ。名前も書ける?」と話していたら「やってみる!」と言ってくれてほっとしました。山本五十六ではないですが、「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」ですしね。
配布物の画題を描く人(そしてとても上手な人もいる)、自分で好きな絵を描く人、はたまたカタカナで書いた自分の名前を、工夫を凝らして扇に描く人もいて面白いなあと思いました。
終わったときに、ある生徒さんが余った紙で折った鶴をくれました。せっかくなので名前を書いてもらい、その日の記念に。
普段10代に接していないのと、生徒さんがとても元気だったので気力を使い果たし、家に帰ってすぐ昼寝した次第です。学校の先生は毎日本当にお疲れ様です。
勉強会は内容がとても充実していて、朝から夕方までみっちり行われてもまったく苦にならないものでした。自分がやってきたことは間違っていなかったことも分かってさらに励みになりました。懐かしい人にも会えてよかったよかった。
日本美術のワークショップは、12歳から14歳ぐらいの生徒を迎えて1時間20分ほどの、短いワークショップでした。この時間でできるものとなると案外難しく、悩んだ末に紙を折って作る扇にしました。本当は棒と紙を使って作る折りたたみ式の扇子を作ろうと思ったのですが、自分でやってみたらあまりにも難しすぎて断念。これは高度な技が必要だということに初めて気付きました。中世に日本から中国への輸出品になったのも宜なるかな。何事もやってみるものですね。他に屏風や掛け軸からおもしろそうな画題を探してきて、意味などを解説した配布物も用意しました。
当日はとにかく元気な生徒さんが多くて圧倒されっぱなし。SOAS側の事務で中心になって動いてくれている係の人はもう慣れているようで、「みんなー!!説明するよー!!!」と大声で呼びかけてくれて何とか説明開始。簡単に作り方を説明したあと、「じゃあ作りましょう」というと、わーっと一斉に紙を折り始めました。それこそお椀をひっくり返したかのような勢いです。
ちなみに、説明のときは自分で事前に作ったものを使ったのですが、扇子の難しいところは、あまり小さく描いてしまうと、折りたたんだときに何を描いたのかよく分からなくなってしまうところです。一回目でそれを実感したので、次はもっと大きく描いたら何とかなりそうだったので、それも見せつつ各テーブルを回っていたら、「猪上手だね!」と生徒さんからお褒めの言葉をいただきました(私は猪に挑戦)。「君も上手だよ。名前も書ける?」と話していたら「やってみる!」と言ってくれてほっとしました。山本五十六ではないですが、「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」ですしね。
配布物の画題を描く人(そしてとても上手な人もいる)、自分で好きな絵を描く人、はたまたカタカナで書いた自分の名前を、工夫を凝らして扇に描く人もいて面白いなあと思いました。
終わったときに、ある生徒さんが余った紙で折った鶴をくれました。せっかくなので名前を書いてもらい、その日の記念に。
普段10代に接していないのと、生徒さんがとても元気だったので気力を使い果たし、家に帰ってすぐ昼寝した次第です。学校の先生は毎日本当にお疲れ様です。
27.1.19
Postman's Park
一日中部屋に籠もっているのもどうかと思い、気分転換に散歩へ。
セント・ポール大聖堂の近くにちょっとした公園があって一休み。このぎっしりと建つ昔ながらの(といっても建築の様式は何でもありの感あり)建物のすぐ側に、ガラスとコンクリートの現代建築が建っているのがいかにもロンドンらしいなあと思ったのでした。
24.1.19
遅くなりましたが明けましておめでとうございます
角を曲がってすぐのところに住んでいるチェコ人の知人からいただきました。かわいい。
去年は山あり谷ありで、今年もまあそんなものだろうとは思うのですが、1日を大切にして、なるべく心穏やかに過ごしたいと思います。
2月は遠出するのと、とあるワークショップを行うので体調管理に気を付けます。
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