21.2.16

作品解説とディスクリプション

「日本の展覧会で表示されている作品解説には、ディスクリプションは多いけど歴史的背景・文脈の説明が少ないと思わない?」と先日友人から言われました。
ディスクリプションとは、いわゆる「人相書き」のようなもので、「画面向かって右側に赤い屋根の家があり、背後には丘がなだらかな線をえがいていて・・・」といったような、何が描かれているのかを具体的に言葉にしていくことです。この説明を読んでその作品を思い浮かべることができれば、そのディスクリプションは成功していることになります。ただ、実際には、よく似た作品はいくつもあったりするので、必ずしも同一性を確かめることはできないのですが。なぜディスクリプションを書くのかといえば、それが見ることの訓練になるからです。人間、見ているようで意外と見てないものです。
その友人(イタリア人)は浮世絵を勉強したくてSOASにやってきたわけですが、数年前に語学勉強のため日本に住んでいたので、よく美術館や博物館に通ったのだそうです。そこで目にした作品解説についての意見が冒頭の言葉です。
その数日前に似たようなことを思ったので、「そうかもしれないね」と返しました。それは、別の友人から、貿易陶磁について開催された日本の展覧会図録を見つけたんだけれども、日本語が読めないから4点の作品解説を翻訳してくれないか、と頼まれたときのことです。作品解説がすべてディスクリプションに終始していることに気づきました。たしかに「明時代 17世紀」とはあるけれども、もう少し具体的な情報、例えば「誰がいつどこで作り、どこへ向けて輸出した(であろう)もので、日本には少なくともいつの時代からあった」といった内容があればいいのに、と思いました。
こういうときの展覧会図録はおそらく巻頭に総論があったり、もう少し踏み込んだ論文が載っていたりするので、背景はそれで説明して、作品解説はディスクリプションに徹底したのかもしれません。すべての作品に同じようなことを書いても仕方がありませんし。展覧会も、各章ごとに説明があるので、作品解説はディスクリプションだけ、ということも珍しくないです。
しかし、それだけだと「その1点が全体の中でどういう意味を持つのか」がよく分からない解説になります。でも、わざわざその作品を展覧会に出したということは、あるテーマに沿って選ぶにあたり決め手になった理由が絶対にあるはず。それをどこまで練り込めるかが問われるのだと思います。
学芸員として勤めていたとき、お世話になった先生(というよりは、今もお世話になっている)からはよく、「一般と個別をバランスよく」と言われていました。一般的に知られていることと、その作品の何が特筆すべきことなのか、それをバランスよく盛り込め、ということです。字数制限内にうまく収めるのは結構大変で、「もうちょっとこれを書きたかったな」と思うこともしばしばありました。なので、友人から言われた「コンテクストがない」というのは耳に痛くもあり、自戒も込めて返したわけです。
ちなみに、字数制限を設けない館もあります。学芸員は書きたいだけ書いてよい、鑑賞者はそこから自分の欲しい情報だけを見ればよいという方針です。これはこれで正しい姿勢でしょう。特に、昨今どこも予算は厳しいので、すべての展覧会で図録を制作できるとは限らない。であれば、情報はすべて作品解説に落とし込んで見てもらおう、というものだと思っています。
ただし、個人的には作品を見ながら大量の文章を読むのは少々難あり、と思います。お客さんは文章を読みに来ているわけではないですし、実際には体力勝負です。でもその親切心には頭が下がります。
作品解説には正解はないけれども、最適はある、しかもそれは館・展覧会によって違うという、言ってしまえば当たり前のような結論で今日は終わります。