異国の地で異国の友人をたくさん作る、というのは理想ですが、お国の言葉で語り合える者同士が集う、または集いやすいというのがやはり現実ではないかと思います。
今日のお昼、食堂でご飯を食べていると、隣のテーブルにイタリア人が5人やってきて、席に着くなり喋り始めました。とにかく喋りまくる。どうも1つの話題について皆で話しているというよりは、対角線上に座っている者同士で話している模様。よくあれで集中できるなと感心しながら見ていました。
他にも、人数が多いというのもありますが、やはり中国語圏出身者は固まっているように見えます。友人は「中国人は団結してるのよ」と言ってましたが、別の友人は、「そんなことないよ?中国人はお互い無関心だけど、韓国人や日本人の方がよっぽど団結して見える」と言ってました。まあ、どちらも本当でしょう。
友人になるにはそれ相応に意思疎通できないといけないし、それには外国語がどれほどできるか、というのが関わってきます。しかし、それは母国語と同程度にできるかとなると、できる人もいるのでしょうが、なかなか難しいのではないかと思います。なので同じ言語を話す者同士が集いやすくなるのでしょう。
29.4.16
28.4.16
飴を何という?
イギリス英語では、飴は candy ではありません。
近所の酒屋さんに行ったときのこと。喉の調子がよくなかったので飴を買おうと思い、店員さんに「キャンディーあります?」と聞くと、「ん?チョコレートのこと?」と返されました。
それで、さっそく今日の英語の授業で先生に質問してみたわけです。
私:「喉が痛いときに口の中でなめて食べる、これぐらいの(手で大きさを示す)ものってなんて言うんですか?キャンディーだと通じなかったんですけど」
先生:「ああ、それは sweets っていうのよ。もっと正確に言いたかったら、boiled sweets ね。砂糖を溶かして作るから。喉が痛いの?だったら Lockets がよく効くわよ!」
帰りがけに通りで万屋食料品店(とでもいうんでしょうか、小さいけれどもとにかく色々売っている)に寄り、その Lockets の蜂蜜レモン味を買いました。たしかにこれは効きます。隣に Extra Strong なるものも売っていたけれども、効き過ぎるんじゃないかと恐ろしい・・・
近所の酒屋さんに行ったときのこと。喉の調子がよくなかったので飴を買おうと思い、店員さんに「キャンディーあります?」と聞くと、「ん?チョコレートのこと?」と返されました。
それで、さっそく今日の英語の授業で先生に質問してみたわけです。
私:「喉が痛いときに口の中でなめて食べる、これぐらいの(手で大きさを示す)ものってなんて言うんですか?キャンディーだと通じなかったんですけど」
先生:「ああ、それは sweets っていうのよ。もっと正確に言いたかったら、boiled sweets ね。砂糖を溶かして作るから。喉が痛いの?だったら Lockets がよく効くわよ!」
帰りがけに通りで万屋食料品店(とでもいうんでしょうか、小さいけれどもとにかく色々売っている)に寄り、その Lockets の蜂蜜レモン味を買いました。たしかにこれは効きます。隣に Extra Strong なるものも売っていたけれども、効き過ぎるんじゃないかと恐ろしい・・・
27.4.16
空気の悪さ
外出して帰ってくると(特に晴れている日)、頭が重くなるような感じがすることがあり、「花粉症か?」と思っていたのですが、とある広告をフェイスブックで見て仰天しました。
ロンドンでは毎年かなり多くの人が大気汚染が原因で亡くなっているんだとか。その広告は9,500人と言ってました(が本当かな・・・)。
頭が重くなる感じがするのも、だんだん暖かくなってきて悪い空気が蔓延しやすくなっているんでしょう。
地上よりも環境が悪いのが地下鉄でしょうか。いつもトンネル付近は曇って見えます。
ロンドンでは毎年かなり多くの人が大気汚染が原因で亡くなっているんだとか。その広告は9,500人と言ってました(が本当かな・・・)。
頭が重くなる感じがするのも、だんだん暖かくなってきて悪い空気が蔓延しやすくなっているんでしょう。
地上よりも環境が悪いのが地下鉄でしょうか。いつもトンネル付近は曇って見えます。
26.4.16
ロンドンの都市景観を決めたもの
ロンドンは古い建物と新しい建物が混在(というかごっちゃり)しているのが面白いです。レンガ造りの家の側にがっちりした石造りの建物があり、その隣にガラス張りの建物がある、といった光景によく出くわします。
昨年の年末に行ったウィーンが、それとはかけ離れた美意識をどーんと体現しているのと好対照です。なんせ道が広い。片側の車線だけで2車線を確保し、歩道も団体旅行客が歩くのに申し分ない広さ。それに加えて、建物の様式と大きさ・高さが揃っているように見えました(ただしその様式名は分からず)。そしてほぼすべて石造り。あまりにざっくりな感想ですが、さすが元オーストリア・ハプスブルク帝国の首都にふさわしい、これぞ「帝都」といったような感じでした。
対するロンドン、道はくねくねしているし、直線で構成された碁盤目上の通りなどほとんど無いのではないでしょうか。行き止まりの道も結構多いし、幅はたいてい狭いです。狭いからこそ、あの赤い2階建てバスがあるのでしょう。「よくこんな狭いところを」と思う角をすいすい曲がるハンドルさばきは見物です。
ロンドンは1666年の大火で大きな被害を蒙ったあと、市再建計画が持ち上がり、当時の建築家がバロック様式の、線対称に整備された通りを持つ計画を提出したらしいのですが、結局実現には至らず、昔ながらの通りを生かして再建されたとのこと。人手が足りなくてとてもそんな大それた計画を実行している場合ではなかったらしい。
ロンドンの都市景観で次に重要なのは、第二次大戦中のドイツ空軍による爆撃でしょうか。今月20日に第二次大戦期のものと思われる不発弾が見つかり、近くのヴィクトリア・パークにいた人を避難させたあと、警察が爆発処理を行っていました。22日にも、ロンドンの東南部でもう一つ見つかったようです。
そのニュースをフェイスブックで登録していたBBCのニュースで知ったわけですが、コメント欄には、「あのナチスめ!」というものも結構ありました。
そして何という巡り合わせか、明日の歴史セミナーではイギリスと日本の空襲がテーマでして、都市住民が空襲をどのように捉えていたか、イギリスと日本の比較をするんだそうです。主催者としては前もって準備していたんでしょうけど、実際に不発弾の発見が続いているときにというのが不思議な縁を感じさせます。
'The Muses of War: Terror, Anger, and Faith during the Bombing of British and Japanese Cities, 1940-1945'
Dr Aaron Moore
戦後はまだ続く。というわけで、明日セミナーに行ってきます。
25.4.16
シティの東側を散歩する
金曜日にやっとこさ学期末のエッセイを提出し、ここ二日間は完全に休みモードとなりました。
家でだらだらしてるのももったいないしと、ここ二日間はロンドンの東西でやっているマーケットに行ってみた次第です。昨日はポートベッロ・ロード・マーケット (Portobello Road Market) という骨董市、今日はスピタルフィールズ・マーケット (Spitalfields Market) とブリック・レーン・マーケット (Brick Lane Market) へ行ってきました。数日家にこもりっきりだったので散歩がてら出かけたわけです。
家でだらだらしてるのももったいないしと、ここ二日間はロンドンの東西でやっているマーケットに行ってみた次第です。昨日はポートベッロ・ロード・マーケット (Portobello Road Market) という骨董市、今日はスピタルフィールズ・マーケット (Spitalfields Market) とブリック・レーン・マーケット (Brick Lane Market) へ行ってきました。数日家にこもりっきりだったので散歩がてら出かけたわけです。
まずはとにかく東へ。写真上のセント・ポール大聖堂を過ぎて北上、グレシャム通りを東へ行くと、広場に出ました。
上の写真はその広場にあるギルドホール (Guildhall) 。建物がひしめくシティ界隈にあって、予想外に広々していて驚きました。市の管轄の建物で、要人のパーティーや集会、宴会などを行う場所のようです。多くは15世紀に建設(12世紀の部分もある)、ロンドン大火(1666)で被害を受けつつも再建、今に至るとか。確かに、建物の入口と主要部で様式が違いますね。建築材もですが。
広場を挟んで向かい側に、ギルドホール・アートギャラリーがあります。今度来ないとと思いつつ、後にしました。
さてマーケットですが、スピタルフィールズ・マーケットとブリック・レーン・マーケット、店舗数もさることながら人でごった返していて、写真は撮れずじまい。というよりも、自分もお店を見て回るのに夢中ですっかり撮影を忘れていました。
昨日行ったポートベッロ・マーケットは超ド級のアンティークを扱う市場ですが(これについては後日)、こちらはもっと身近な古着やアクセサリーなどが主でした。食べ物を売る屋台も数え切れないほど並んでいて、遅いランチを食べようとお客さんが長い列を作っていました。
本当はこの先にあるフラワーマーケットに行きたかったのですが、あまりに寒い(今日は日中でも10度もなかった)ので断念し、引き返してきました。帰る前に通りを一枚。奥に見えるのはガーキン。
そしてまたセント・ポール大聖堂へ。ちょうど3時になるところで、鐘が鳴り響いてました。
古い建物と新しい建物が混在しているのを見ながら散歩するのは楽しいのですが、もう少し暖かくならないものか・・・あと建築の様式が分かるともっと面白いのに、と思いました。昔授業で何かやったような気もするのですが、まったく思い出せません。
17.4.16
なまものは強い
これは去年の11月頃でしたが、ロンドンで開催されていたハイパー・ジャパン・クリスマスマーケットに行こうかどうしようか、迷っていたときのこと。
日本食のお店が出ているようだったので、「どうする?」と旦那に聞いたところ、「行こう!」と即決でした。
当日。会場が近づくにつれ、増えてくるコスプレの人々にやや気圧されながらも会場到着。予想はしてましたが、多いですね。それにしても、コスプレって何か特定のアニメ・漫画キャラクターの恰好をすることだと漠然と思ってたのですが、そうでなくてもいいんですね。「あれは何のキャラクターだろう?」と思う方が多かったです。自分がアニメをほとんど知らないから見ても分からないだけかもしれませんが。
肝心の日本食は、お寿司や海鮮丼を出しているお店があったのでそこにしました。旦那はまぐろ丼を注文(自分が食べたものはど忘れしました。何だっけ・・・)。そこで感想を聞いてみることに。
私:「どう?おいしい?」
旦那:「うん。ほんとおいしい。涙出そう」
それは大げさじゃない?と思ったのですが、後から聞いたら本当に涙が出そうだったようで、ロンドンに来て2ヶ月、食にまだ慣れてなくて大変だったんだなあと、そこで気づきました。
お祭りでは日本の雑貨やらゲームやら漫画やら、色々なお店が出てはいましたが、ヴァーチャルの世界に浸ってゲームにのめり込んでいる人たちを見ていると、少し退廃的なものを感じました。出展者の中には陶磁器を売っているお店もあって、結構いい備前焼の器が売られていたりするんですけれど、手に取って見ている人は少なかったです。そして値段も張るので、さらに手が出ない。
そこは午前中で切り上げて、午後は Hunterian Museum へ行ってきました。「くまのプーさん」のモデルになった熊の頭蓋骨が展示されるからで、プーさん好きの旦那が「行きたい!」と言ったからです。
「いいよー」と上の空で返事をした私は、当日までに特に博物館のことを調べもせず行ったわけです。しかし、これがまたすごい博物館でして・・・
この博物館、 Royal College of Surgeons に属してます。つまり外科医師のための博物館で、もともと、ジョン・ハンターという解剖学者が集めたものがコレクションのもとになっています。なので、様々な動物(もちろん人間も)の標本・ホルマリン漬けの瓶が、棚の上から下までびっしり並んでるわけです(グーグルの画像検索をすると出てきます)。部屋に一歩入った瞬間、「うっ」と思いました。展示室を歩いていると、だんだん標本から出てくる何かにあてられそうな気がしたので、絵が飾ってある部屋に行ってみたわけですが、こちらも何らかの疾患を抱えた人の絵が所狭しと並んでました。
上の階の展示室は整形外科手術の歴史(戦争で負傷した兵士の顔を手術するところから始まったらしい)や、外科手術道具や、手術の技術発達について解説してました。
いってみれば、午前はまやかしの世界、午後はなまものの世界という強烈な対比を1日で見てきたわけですが、なまものは強いですね。生きていたもの、というか生きていたはずのもの、というのがそう思わせるのか。
ちなみに、プーさんのモデルになった熊の頭蓋骨は、1階展示室の隅にひっそりと展示されていました。動物園にやってくるお客さんがかわいさあまりに餌をあげていたのがあだとなり、虫歯になってしまったんだそうです。動物園と人間の関係について考えさせられました。
日本食のお店が出ているようだったので、「どうする?」と旦那に聞いたところ、「行こう!」と即決でした。
当日。会場が近づくにつれ、増えてくるコスプレの人々にやや気圧されながらも会場到着。予想はしてましたが、多いですね。それにしても、コスプレって何か特定のアニメ・漫画キャラクターの恰好をすることだと漠然と思ってたのですが、そうでなくてもいいんですね。「あれは何のキャラクターだろう?」と思う方が多かったです。自分がアニメをほとんど知らないから見ても分からないだけかもしれませんが。
肝心の日本食は、お寿司や海鮮丼を出しているお店があったのでそこにしました。旦那はまぐろ丼を注文(自分が食べたものはど忘れしました。何だっけ・・・)。そこで感想を聞いてみることに。
私:「どう?おいしい?」
旦那:「うん。ほんとおいしい。涙出そう」
それは大げさじゃない?と思ったのですが、後から聞いたら本当に涙が出そうだったようで、ロンドンに来て2ヶ月、食にまだ慣れてなくて大変だったんだなあと、そこで気づきました。
お祭りでは日本の雑貨やらゲームやら漫画やら、色々なお店が出てはいましたが、ヴァーチャルの世界に浸ってゲームにのめり込んでいる人たちを見ていると、少し退廃的なものを感じました。出展者の中には陶磁器を売っているお店もあって、結構いい備前焼の器が売られていたりするんですけれど、手に取って見ている人は少なかったです。そして値段も張るので、さらに手が出ない。
そこは午前中で切り上げて、午後は Hunterian Museum へ行ってきました。「くまのプーさん」のモデルになった熊の頭蓋骨が展示されるからで、プーさん好きの旦那が「行きたい!」と言ったからです。
「いいよー」と上の空で返事をした私は、当日までに特に博物館のことを調べもせず行ったわけです。しかし、これがまたすごい博物館でして・・・
この博物館、 Royal College of Surgeons に属してます。つまり外科医師のための博物館で、もともと、ジョン・ハンターという解剖学者が集めたものがコレクションのもとになっています。なので、様々な動物(もちろん人間も)の標本・ホルマリン漬けの瓶が、棚の上から下までびっしり並んでるわけです(グーグルの画像検索をすると出てきます)。部屋に一歩入った瞬間、「うっ」と思いました。展示室を歩いていると、だんだん標本から出てくる何かにあてられそうな気がしたので、絵が飾ってある部屋に行ってみたわけですが、こちらも何らかの疾患を抱えた人の絵が所狭しと並んでました。
上の階の展示室は整形外科手術の歴史(戦争で負傷した兵士の顔を手術するところから始まったらしい)や、外科手術道具や、手術の技術発達について解説してました。
いってみれば、午前はまやかしの世界、午後はなまものの世界という強烈な対比を1日で見てきたわけですが、なまものは強いですね。生きていたもの、というか生きていたはずのもの、というのがそう思わせるのか。
ちなみに、プーさんのモデルになった熊の頭蓋骨は、1階展示室の隅にひっそりと展示されていました。動物園にやってくるお客さんがかわいさあまりに餌をあげていたのがあだとなり、虫歯になってしまったんだそうです。動物園と人間の関係について考えさせられました。
12.4.16
肖像画から考える「枠」
ナショナル・ポートレート・ギャラリーで "Russia and the Arts: The Age of Tolstoy and Tchaikovsky" を開催中です。ロシアのトレチャコフ美術館から19世紀の肖像画がおよそ20点貸し出されています。
数年前見た「忘れ得ぬロシア」展以来、ロシア18・19世紀の絵画は結構好きで展示が近くであれば見に行ってました。光に対する鋭敏な感覚(北に住んだ経験のある人なら多分納得してくれると思う)とそれに支えられた色彩感覚、精緻な質感描写に驚いたからです。
残念なことに、19世紀のロシア文学や音楽はとても有名なのに、絵画は日本での認知がまだ薄いように感じます。学生のときに西洋美術史の授業を取ったことはありましたが、ロシアってなかなか紹介されない。20世紀のアヴァンギャルドが取り上げられるぐらいでしょうか。
ちなみに、今回の展覧会の副題は「トルストイとチャイコフスキーの時代」。今BBCでトルストイの『戦争と平和』の実写版ドラマをやっているからではないかと推察します。それにしても、つい数年前にキーラ・ナイトレイ主演で『アンナ・カレーニナ』の映画がありましたし、イギリスってロシア文学好きだなあと今回改めて思いました。
この展覧会、展示数はさほど多くはありませんが、その分じっくり見ることができます。何よりも解説が素晴らしく、見るポイント、画家と被写体となった人物との関係、そして人物の人となりを簡潔に、そして格調高い文章で綴っています。「こういう表現があるのか」と新鮮でした。
いつも美術館や博物館で西洋絵画や彫刻を見ていると、この技法や表現は西洋人の顔と身体を表すための技法であって、決して東洋人向けではない、ということを突きつけられるような気もします。よく西洋美術で「写実」または「リアリズム」ということが言われますが、同じ画家が当時東洋人を見たとして、その通りに描けたのだろうかと想像することがあります。というのも、これはもう亡くなった画家(出身は忘れましたがヨーロッパ出身だったとうっすら記憶)が日本人を描いた絵を見たときに、西洋人が日本人を描く時によく描く、典型的なつり目だったからです。モデル本人はぱっちり二重なんですけど(写真が偶然あった)。
つまり、西洋美術の写実ってあくまで西洋人のための写実であって、その枠の外にあるものは対象外らしい。だからモデルが前にいても、枠の外のものはよくある常套手段で済ませちゃうんだろうなと考えた次第です。もちろん、そうじゃない画家もいるのでしょうけれど。
でも枠の外にあるものに対応するのってどの時代・場所でも大変ですよね。
数年前見た「忘れ得ぬロシア」展以来、ロシア18・19世紀の絵画は結構好きで展示が近くであれば見に行ってました。光に対する鋭敏な感覚(北に住んだ経験のある人なら多分納得してくれると思う)とそれに支えられた色彩感覚、精緻な質感描写に驚いたからです。
残念なことに、19世紀のロシア文学や音楽はとても有名なのに、絵画は日本での認知がまだ薄いように感じます。学生のときに西洋美術史の授業を取ったことはありましたが、ロシアってなかなか紹介されない。20世紀のアヴァンギャルドが取り上げられるぐらいでしょうか。
ちなみに、今回の展覧会の副題は「トルストイとチャイコフスキーの時代」。今BBCでトルストイの『戦争と平和』の実写版ドラマをやっているからではないかと推察します。それにしても、つい数年前にキーラ・ナイトレイ主演で『アンナ・カレーニナ』の映画がありましたし、イギリスってロシア文学好きだなあと今回改めて思いました。
この展覧会、展示数はさほど多くはありませんが、その分じっくり見ることができます。何よりも解説が素晴らしく、見るポイント、画家と被写体となった人物との関係、そして人物の人となりを簡潔に、そして格調高い文章で綴っています。「こういう表現があるのか」と新鮮でした。
いつも美術館や博物館で西洋絵画や彫刻を見ていると、この技法や表現は西洋人の顔と身体を表すための技法であって、決して東洋人向けではない、ということを突きつけられるような気もします。よく西洋美術で「写実」または「リアリズム」ということが言われますが、同じ画家が当時東洋人を見たとして、その通りに描けたのだろうかと想像することがあります。というのも、これはもう亡くなった画家(出身は忘れましたがヨーロッパ出身だったとうっすら記憶)が日本人を描いた絵を見たときに、西洋人が日本人を描く時によく描く、典型的なつり目だったからです。モデル本人はぱっちり二重なんですけど(写真が偶然あった)。
つまり、西洋美術の写実ってあくまで西洋人のための写実であって、その枠の外にあるものは対象外らしい。だからモデルが前にいても、枠の外のものはよくある常套手段で済ませちゃうんだろうなと考えた次第です。もちろん、そうじゃない画家もいるのでしょうけれど。
でも枠の外にあるものに対応するのってどの時代・場所でも大変ですよね。
11.4.16
10.4.16
バッハを聴きに行く
昨日、バービカン・センターでバッハ・コレギウム・ジャパン・レジデンシーの演奏会を聴きに行きました。
バービカン・センターに行くのはこれが初めてで、そのそっけないコンクリート造りの外観が味気ないなあと当初は思っていたのですが、中に入って驚きました。コンサートホールや美術館、映画館など(他にもまだある)多種多様なホールを持つ一大総合芸術施設とでもいうべきものでした。
写真はコンサートホールでの一コマ。演奏前、チェンバロの調整をしているところです。
ときどき、音がこちらへ飛んでこないような感じがしましたが、ホールが大きいというのがその原因でしょうか。ロンドン・フィルハーモニーがそっくり入るんだそうです。
ただ、高い技術を持つ個人が集い、アンサンブルを本当に楽しんでいるということはよく伝わってきました。パートごとの音色、全体の音色ともに素晴らしかったです。近くで聞きたかったなあ。
8.4.16
ファンタジーとは?
今年は『不思議の国のアリス』が出版されて150年とのことで、今、大英図書館では特集展示をしています。
図書館の入口を入るとアリスに関連したものを売るショップがあります(上の写真)。二人のアリスがお出迎え。ちょっとぎょっとします。特に頸が長い方。
展示は中2階、無料で誰でも入ることができます。至る所にアリス本の挿絵(色々な版のものあり)とともに展示品が並べられ、なかなか楽しめます。
実は、私はアリスを最初から最後まで読んだことはありません。ファンタジーに興味が無かったからです(すれた子供だったなあ)。ハリー・ポッターシリーズも、1冊目だけ読んであとはまったく読んでないです。せっかくだから展示が終わる前に読んで、また見に行きたいのですが、果たして時間があるかどうか・・・
それにしてもファンタジーって何でしょう?フィクションとはどう違うんでしょうか?
ファンタジーと呼べるかどうかは分かりませんが、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』が好きです。どこを読んでも「ええっ!?」と思う展開に一瞬わけがわからなくなるうえに、登場人物が多く、かつ名前が長いので(失礼)覚えづらく、読み終わるまでに相当時間がかかりましたが、20世紀初頭のロシアで起こる、はちゃめちゃで奇想天外な物語が文句なく面白いです。どうやったらあのストーリーを構築していけるんでしょう?もちろん、面白さだけではなくて社会批判的な意味もあるでしょうし、なんせキリスト教がテーマの1つなので、事情に疎い私にとっては意味がよく分からないところもあります。が、もしロシア語が読めたらこれは原語で読んでみたいと思う作品です。
6.4.16
とある通りにて
日が長くなり(今は夏時間なので日本とは8時間差です)、花も咲いていて春を感じさせますが、風はまだ冷たい今日この頃。そしてやってくるのが、「晴れていると思ったらざーっと雨が降ってはまた止んで」の日々。折りたたみ傘は手放せません。
イギリス人はおしゃべり好きらしい
こちらへ来て驚いたことの1つ(といっていたらきりがなさそうだけれど)に、電話で話ながら歩いている人がとても多いことがあります。
中でも、イヤホンでハンズフリーにして話している人が特に多い。「向こうから独り言をしゃべっている人が近づいてくるぞ」と思っていたら、電話でお話し中でした。他にも、ベンチや地面、低い塀の上に座りながら電話している人もよく見かけます。泣きながらスマホ片手に歩いている女性を見たときは「ああ、修羅場だな」と思ったり。
ときどき、電波の接続が悪いのか、聞こえづらいのか、ハンズフリーのはずなのにスマホの音を拾う部分(口に近い部分)を、口に対して直角に向けている人がいます。その姿がまるでトーストを食べるかのようで、思わずくすりとしてしまいました。普通にスマホで話せばいいのに。
中でも、イヤホンでハンズフリーにして話している人が特に多い。「向こうから独り言をしゃべっている人が近づいてくるぞ」と思っていたら、電話でお話し中でした。他にも、ベンチや地面、低い塀の上に座りながら電話している人もよく見かけます。泣きながらスマホ片手に歩いている女性を見たときは「ああ、修羅場だな」と思ったり。
ときどき、電波の接続が悪いのか、聞こえづらいのか、ハンズフリーのはずなのにスマホの音を拾う部分(口に近い部分)を、口に対して直角に向けている人がいます。その姿がまるでトーストを食べるかのようで、思わずくすりとしてしまいました。普通にスマホで話せばいいのに。
3.4.16
Kensington Gardens
アルバート公メモリアルのすぐ近くに桜の木を発見。とても天気がよかったので昨日旦那と散歩に出かけてきました。家族連れでピクニックに来ている人、芝生にごろんと横になって気持ちよさそうに寝ている人。春なんだなあと実感が沸いてきました。
2.4.16
化粧水はない 2
元来スキンケア用品や化粧品を選ぶのに苦労するたちですが、乾燥の厳しいこの季節、早く手を打たないとひどいことになるのは分かっていました。
インターネットで探していたところ、Neal's Yard Remedies を見つけ、「確か日本にもあったような」と思い、ものは試しにと使ってみることに。
コヴェント・ガーデン駅からほど近い、その名もニールズ・ヤードという通りにお店はありました(通りの名前がお店の名前になっているということを知りませんでした)。
店員さんに事情を説明すると、クリームよりは柔らかい、保湿用のものを紹介してくれました。そしてやはり、「トナーは肌荒れが相当ひどいときか、化粧を落としきるときに使う物」とのこと。
お勧めされたものを購入して早速使ってみると、確かに肌が潤う感じはしますが、乳液等を付けないと乾燥してくるのは仕方がないとみるべきか。
ところで、友人たちに聞いてみると、日本のスキンケア用品や化粧品は評価が高いです。でもこちらではなかなか買うことができないのがつらい、と皆こぼしておりました。何とかならんものなのか。
コヴェント・ガーデン駅からほど近い、その名もニールズ・ヤードという通りにお店はありました(通りの名前がお店の名前になっているということを知りませんでした)。
店員さんに事情を説明すると、クリームよりは柔らかい、保湿用のものを紹介してくれました。そしてやはり、「トナーは肌荒れが相当ひどいときか、化粧を落としきるときに使う物」とのこと。
お勧めされたものを購入して早速使ってみると、確かに肌が潤う感じはしますが、乳液等を付けないと乾燥してくるのは仕方がないとみるべきか。
ところで、友人たちに聞いてみると、日本のスキンケア用品や化粧品は評価が高いです。でもこちらではなかなか買うことができないのがつらい、と皆こぼしておりました。何とかならんものなのか。
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